映画「ハンナ・アーレント」

ハンナ・アーレント [DVD]

あらすじはギンレイホールのサイトから。
60年代初頭。ナチス戦犯アイヒマンが逮捕された。高名な哲学者ハンナはその歴史的裁判を傍聴しレポート記事を発表するが、その衝撃的な内容に激しいバッシングを受ける… ナチス収容所から逃れてアメリカに亡命したハンナ・アーレントの不屈の信念を描きだした重厚な伝記ドラマ!

ハイデッカーおじさんがっ!!!!! ハイデッカーおじさんがっ!!!
60年代の哲学者は私が想像するよりはるかにはるかにヘビースモーカーでした。
胸元にたらりと垂れる小粒の真珠のネックレス、いいね! 長すぎず短すぎず。
関連書籍がたくさん出ているので読んでみて、改めてこの映画のことを考えることとしたい。

公式サイトはこちら。
http://www.cetera.co.jp/h_arendt/

Wikipedia には『映画の内容と関係するアーレントの著作『イエルサレムのアイヒマン』の翻訳書も、映画公開から2000部が増刷された』って書いてあるけど、林真理子の「白蓮れんれん」も増刷になるのかちらどうかちら! 

私、いま、これ読んでるんですけど「ナチスとヒロヒトは同じだ」とヨーロッパの人が思ってるという記述を読んでちょっとクラクラしてるところなのよのさー。そしてマークス寿子さんの「マークス」がイギリスのPB洋服屋さん『マークス&スペンサー』のマークスと初めて知ってびっくりよ! 香港行くときたまに買う、安くて堅実、仕事先にもギリギリ着ていけるの、あとここの○○号が私にぴったりなもので。

ぼくたちは老後の心配をしすぎなのかもしれない/あれば便利はなくても平気というけれど

「介護&老後&備えるおカネ」大全2014 (日経BPムック)

「ザイオンライン」で掲載されてる橘玲さんの「橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方」にこんな記事が載ってました。

【日本人は中国に対して、あまりにもネガティブになりすぎているのではないだろうか】

2005年、チャイニーズドリームを夢見て日本を飛び出した事業家の荒木尊史氏、冷え込む日中関係についてもっと冷静になろう、という趣旨のふるまいよしこさん風味のテキストかと思って読みすすめていったら、ば、彼のメンターである邱永漢氏とのやりとりが掲載されていた。

荒木氏が邱永漢さんに「日本の年金は将来、破錠するのでしょうか?」と質問してみた。
返事をしない邱さん、もしもし邱さんどうしたの、もう一回大きな声で聞いてみた。
そしたら邱さん、えっらい剣幕でこう怒鳴ったそうだ。

「君みたいな若い人が、今から年金の心配なんかしてどうするの! そんなことより、どうやったら今日より明日の生活が豊かになるのか、お金が儲けられるのか、そっちのほうを真剣に考えなさい!」

ガガーン!!! あたいも、あたいも、老後の心配ばっかりしてた気がするのー! 目が覚めたようなー!!

先日、友だちとお酒飲んでて「月にならすと毎月●円積み立ててることになる」という話をしたら、「マンション買えるじゃん! お金ためてる場合?(意訳)」と返された。ガーン。一昨年、ちょっと色気出して保険に入ったけど、その受取る年まで生きてるかどうかわからんじゃん、とかもいろいろ。ガーン!

心配事の9割は起こらない: 減らす、手放す、忘れる「禅の教え」 (単行本)

こういうこと? こういうことなの!? くるかどうかもわからない未来よりも、明日の私、来月の私、来年の私のあるべき姿を追ってもいいということなのねー! なのねー!

くるかどうかもわからない未来というと、私は、山下和美さんの「不思議な少年」に収録されていた「タマラとドミトリ」という話をいつも思い出してしまう。森のなかでひっそりと暮らす一族として絶滅寸前の「ララ族」。一族の地を残すため、14歳のタマラは中年のドミトリと結婚するハメになる。タマラは何度もその暮らしから逃げ出そうとするが、いつも結局村へと戻ってしまう。月日を経ても子供はできず、ドミトリも年老いていく。年齢を重ねたタマラは優しくドミトリを看取る。物語の最後、村へ荷物を運んでくれる郵便飛行のおじさんが「オレも今日が最後のフライトだよ」と挨拶を残していく。ララ族最後の人となったタマラは、静かにその生を一人で閉じてゆく。

この本が出たのが2002年だけど、2030年から2040年にかけて日本中の限界集落で起きる話を描いたんだなーと当時読んで思った。老朽化した橋やトンネルもそのままになって、移動手段が限られてよその地域へ行くこともままならなくなってしまう。それで山の中腹の桐の木を指さして「あそこまで人が住んでいたんだよ」と二足歩行ロボットに乗った人間が茄子の収穫をするのよ、そうよそうよそうき決まってるわ! 私もララ族になるんかなー、なっちゃうんだろうなー。

それで表題の「あれば便利はなくても平気」ですが、サラダスピナーを買うとき、この考えが長い時間、購入を妨げていたのにいま気が付きました。手でなんとかできるのではないかしら、ざるでの水切りとそう変わらないんじゃないかしら、と思っていました。実際に買ってみたら「超便利!なんで早く買わなかったんだろう!」てなもんなのですが。

「だいたい、ウカやんは『あれば便利はなくても平気』とかいいながら、似たようなサイズの似たような形状のバッグをいくつ持ってるのよ」「・・・・いつつ・・・・」などという会話を友人らとしたのは内緒です。

お金に頼らずかしこく生きる 買わない習慣

アンドレイ・クルコフ「ペンギンの憂鬱」

ペンギンの憂鬱 (新潮クレスト・ブックス)

海外の現代の小説を読みたかったら、新潮社のクレスト・ブックスから興味のある国のものを読めばいいんじゃないかちら、どうかちら、と今年になって初めて気がついたので機会があることに買っておいてます。

http://www.shinchosha.co.jp/crest/

で、その積んどく海外文学も結構背が高くなってきて、「冷血」を読んだあと、ちょっと箸休め的に軽いものを、と思って手にしたのがウクライナの作家アンドレイ・クルコフの「ペンギンの憂鬱」。ほらほら、表紙もかわいらしいし、ペンギンも出てくるし、きっとかあいらしいほっこり物語に違いないわ、と思って読んでみたら、そうでもなかった! 面白かった!!!

あらすじは書籍の背中カバーから、伊井直行さんの解説をまるっと。
主人公ヴィクトルは、ウクライナの首都キエフで新聞の死亡記事を書いて暮らしている孤独な男である。まるで十九世紀ロシア文学の登場人物のようだが、時代は一九九〇年代、ソビエト連邦は崩壊し、マフィアが暗躍している。主人公は旅先の街で、銃撃の音で目を覚ましたりする。まだまだ平和な日本からすると、はるか遠い国の話のようだが、読んだ印象は正反対である。憂鬱症のペンギンや、預けられたギャングの娘と寄り添って共同生活を営む主人公は、それがどんなに不可思議であろうとも、私たちの隣人のように思えてならないのである。

そうそう、なんというのだろう、主人公のヴィクトルは、街の中を流れるドニエプル川がそんなに遠くないキエフ市内に住んでいて、冬には友だちとペンギンのミーシャを連れて散歩に行ったりする。駅からちょっと離れると緑が途端に多くなりそうな首都圏のどこかの街、阿佐ヶ谷とか三鷹とか、そんな土地に日本のヴィクトルは生きていそう。読んでいてなんとなく村上春樹っぽい香りがするのだが(かといってパスタばっかりゆでたり、リノリウムの床を歩いたりしないのでご安心を)、作者のクルコフは「村上春樹の羊をめぐる冒険が気に入ってる」とのこと。あぁ、いま、思い出した、ヴィクトルが自分の半分の年にもならない女の子と寝るシーンがあるのだが、そこの描写が(さらりとしていつつも)とても村上春樹っぽかった。

ウクライナは1991年に崩壊したソ連邦から独立したばかり、まだまだ安定していない時期にこの小説は書かれています。キエフから北へ車で二時間ほど行ったところにはチェルノブイリがあり(わずか140kmの距離なのね!)、1986年にそれが事故を。クルコフが暮らし見てきた祖国は激動の時代を今も生き抜こうとしており、そしてこの本を読み終えた日の朝、ウクライナの大統領選が終わったというニュースを見ました。新しく大統領となるポロシェンコは、「チョコレート王」とも呼ばれている実業家で大富豪、政治経済外交とバランスのとれた政策が取られるのではないかと期待されています。とか言ってたら昨夜(現地時間午後)、キエフのドネツク空港が新ロシア派に占拠されたというニュースが入ってきました。クルコフは今朝、どんな思いでそのニュースを聞いたのでしょうか。


新潮クレスト・ブックスのフォントは『精興社書体』というものが使われていますが、品のある読みやすい文字でとても素敵。フォールドしやすソフトカバーの造本もすてき。これがハードカバーだと両手でがしっと開いて読まないといけないざんしょ? ソフトカバーだと片手にご本、片手にお酒、膝の上に猫、テレビではジロ・デ・イタリアなどということが可能なのです。ソフトカバー礼賛!!! あとですね、海外文学を読むときは、google map が横にあるととても臨場感あふれるんざます。たまにストリートビューを起動したりして、世界観にどっぷりはまることもできます。なんてよい時代なんでしょう。

http://www.seikosha-p.co.jp/
あぁ、精興社さん、なんて誠実そうなウェブデザイン!!

「えぇー村上春樹ぃー?」などと敬遠せず、こちらの記事を読みながら、機会がありましたらぜひ!  
ナショナル・ジオグラフィック 混迷のウクライナ、その歴史的経緯

トルーマン・カポーティ「冷血」

昨年、高村薫の「冷血」を読んだ後、トルーマン・カポーティの「冷血」を読まなくてはと思っていた。5月の連休はじめあたりから読んでぽちぽち読み進め、先週読み終わりました。あらすじはAmazon から。

カンザス州の片田舎で起きた一家4人惨殺事件。被害者は皆ロープで縛られ、至近距離から散弾銃で射殺されていた。このあまりにも惨い犯行に、著者は5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行。そして犯人2名が絞首刑に処せられるまでを見届けた。捜査の手法、犯罪者の心理、死刑制度の是非、そして取材者のモラル―。様々な物議をかもした、衝撃のノンフィクション・ノヴェル。

衝撃の、ノンフィクション、ノベル、というところが味噌でして、六千ページにも及ぶ取材ノートから再構築されたこの実際の事件を元にしたこの物語は、作者を「私」として登場させているわけでもない、事実多めの記述だけどまったく創作の余地がないわけでもない、世に出た初めての「ノンフィクション・ノベル」なのです。文学史に詳しいわけではないので、これが世に出た時の衝撃がどのくらいのものだったのか想像もできないのですが、当時この作品を手にとった人たちは、どう感じたことでしょう。

加害者は若者二人で、四人の家族を死に至らしめるまでの心理を描いたあたりは、最近の日本で起きたいくつかの殺人事件につながらないわけでもない表現にぞっとしました。犯罪を犯した二人はアメリカを移動し続ける。ちょっとロードムービーっぽい。高村薫の加害者たちは国道16号線を行ったり来たりしただけだったけれど、カンザス州で犯罪を犯した彼らはメキシコやラスベガスへ移動しており、そのエリアがとても広い。加害者のひとり(カポーティが深く入れ込んだ方)は、共犯者を親友と思っているのに思われている側はそうでもない、むしろどうして道中で殺しておかなかったんだと思ったりもしてる。この孤独!! 

そんな物語なのに季節や風景の描写はきらめくように美しく、いちいちメモを取りたいくらい。見たことがない景色だから余計そんなふうに感じられるのかしら。今のカンザス州にそんな風景が残っているとも思えなのだけど。

エンディングはまるで映画のようで、というか、この作品以降の映画は、このエンディングを手本に映画作ってるんじゃないかというような余韻のあるものでした。


今回読んだのは、龍口直太郎氏翻訳の古い版。うつくしき新潮文庫のフォント、このページの余白、煉瓦色の栞、またこの小説は物語が変わるところの最初の一文字が2級大きい太ゴシックになっており、ちょっとハネがあるこのゴシック文字を見るたびにキュンとする、「あぁ、いま、小説を、読んでいるんだわ、私!」って気分になる。文庫サイズで小説読むなら新潮文庫一択です。

トルーマン・カポーティは、この作品を完成させたあと、長編小説を一冊もまとめることができず他界します。「冷血」の題材となる農家殺人事件の起こる2年前の1957年(昭和32年)に来日しており(最初で最後の来日です)映画ロケのために来ていたマーロン・ブランドと会見するために京都を訪問し、その節には三島由紀夫とも面会しているそうです。「冷血」の物語に好意的に描かれている日本人居住者家族や、加害者のひとりが京都で買った根付を大事に持ち歩いてる場面などもあり、そんなところもちょっとおもしろいです。

というわけで、今年の正月に亡くなったフィリップ・シーモア・ホフマンの「カポーティ」も早いうちに見ようと思います。

カポーティ [DVD]

新潮文庫のフォントの話、イトイさんのサイトにあったわ。
http://www.1101.com/shincho/05-07-05.html
これもあとで読む。

夏めくや青磁に岩泉ヨーグルト

麻布十番のナニワヤのような地元資本の食べることが大好きで舌が確かなバイヤーさんがいる小さめスーパーでうっかり購入。
 
 なんじゃこらー!!!
 溶けかかったバニラアイスのような食感!
 ヨーグルトのくせにもちもちしてるエクストリーム・ヨーグルト!

「うるしのスプーンでヨーグルトを食べるとおいしいのよ」と以前人に進められて購入していたのですが、そのスプーンにやっと見合う味のヨーグルトに出会えたような。

で、いま、調べたら、私が購入したのはリンク先の「岩泉乳業株式会社」さんのではなく、台東区の「岩泉乳業販売株式会社」さんの「岩泉ヨーグルト」だったようで、パッケージはこちらのシャレオツ版になります。
https://www.iwaizumi-farm.co.jp/lineup/eat/

あぁ、おいしい! こんなおいしいヨーグルトがあるとは知らなかった!
バニラアイスがなければ岩泉ヨーグルトを食べればいいのよー!