盛りだくさん!ここ四週間の真田丸/第26回「瓜売」/第27回「不信」/第28回「受難」/第29回「異変」

真田丸 完全版 第弐集 [Blu-ray]

第26回 7月3日「瓜売」
秀吉は関白を秀次に譲る。明を攻めるためにまず朝鮮に行く。加藤清正らが苦戦する。肥前名護屋でだらけまくっていた待機中のみなさんは、秀吉の発案で仮装大会をすることになる。そして繰り出される草刈正雄の美声瓜売り芸! その一方で信州上田城ではとりが最期のときを迎えようとしていた。
今週の退場者:とり(草笛光子)
今週の悩める婿殿:信幸(大泉洋)、面倒な酔っぱらい二組に声を掛けられて決死のはしご酒。大泉洋が出ると悲惨なことが起きなさそうで安心するね!

第27回 7月10日「不信」
秀吉と茶々の間に男子誕生。その立場が危うくなると考えた秀次は、吉野の花見で能を披露してご機嫌伺いを画策!しかしさんざんな出来に秀吉激怒。そりゃそうだ。秀吉は信繁に官位を授けるといい、「わたしだけがいただくわけにはいきません、兄者も・・・」とお願いしたところ、「図々しい!」と怒られ、弟に情けをかけられたとおにいちゃんにも怒られる。信繁も大変だ。そうこうしてるうちに秀次が疾走する。秀次の明日はどっちだ!
今週の恋の鞘当て:前妻こうちゃんと現妻いねちゃんのやり取りにハラハラしますなー、ガハハハ。
今週の衣装:秀次一家のお能ご披露シーンで使われた衣装、立派なものに見えましたし、お能の技術指導も入ったんでしょうなー。短いシーンなのに丁寧に贅沢に作られていますなー。

第28回 7月17日「受難」
聚楽第から逃げ出した秀次。真田邸に身を寄せるもそこも出奔し高野山へ。信繁は秀吉から大谷・片岡愛之助・吉継の娘・春ちゃんと結婚しろと命じられる。高野山には信幸がついていき、たそがれてる秀次に向かって腹を割ってはなそーぅ! 愚痴をこぼして心も通い、怒りまくりの秀吉もなんとか取り繕ってくれるという約束を取り付け、事態は丸く収まるかと思った矢先に秀次自害。死ななくてもよかったんやで描写がせつなすぎる。裏切られたと思った秀吉、「側室たちも全員殺せ」と命じる。一人隠し部屋で息を潜めていた秀次の娘・たかを信繁が見つけ、一旦側室にした後呂宋助左衛門に託す、ついでに春ちゃんとも結婚する。さらに星野源演じる徳川秀忠と本多正純も登場。いろいろなことが起きた45分間でした。
今週の退場者:豊臣秀次(新納慎也)、その側室と子どもたち、ひどい!
今週の贅沢なチョイ役:松本幸四郎

第29回 7月24日「異変」
信繁の婚礼。信幸はやる気のない父ちゃんにかわり伏見城の普請を受け持つことになるが、戦国武将は自らお城を設計しなくてはならないなんて! 仕事がうまくいかなくてモヤモヤした気持ちで帰宅すれば母上様が「んもう!殿に女ができたに違いありません!普請場にはいないではないですか!」と愚痴られてうんざり。そんなとき心の傷を癒やしてくれるのは、おっかない正妻ではなくて慣れ親しんだ昔の嫁だよね、それってどうなの、大泉洋☆ などとした後、衿を正しながらおっかない正妻のもとに帰ったら「前の女と仲良くしたりしないで!」と声に出せない声をようやく態度で示したいねちゃん! まぁっ、まさかの連投、恋のダブルヘッダー! とかやってるうちに、秀吉はおねしょしちゃう、其の罪をかぶる且元、同じことを何度も話し、老いが進む姿を周囲に晒していってしまう。そして6月の京都に降る灰、慶長伏見地震! どうなっちゃうの! 秀吉の明日はどっちだ!
今週の退場者;特に無し
今週のよいチョイ役:キリシタン大工の吉蔵・水橋研二さん。よいチョイ役といえば、真田の里の与八・今野浩喜さんはこのあともまた登場するのかしらん。

明日の7月31日、第30回『黄昏』は、7時15分からだよ! よろしくどうぞ!

すべて世はこともなし竹皮をぬぐ/ロイカナで満足している猫ちゃんで

昨日の話。きちんとしたお洋服を着て久しぶりに打ち合わせに出かけ、タクシーをつかまえてバビューンと都心部を縦断していくわずか10分、料金1630円のこの短い時間に感じた「すべて世はこともなし」な感じ。

東京の地下鉄に久しぶりに乗って、ポケモンGOを眺めている男性サラリーマンの隣に座り、改札を出てボロンと落ちている男性長財布を見つけ、誰も拾わないの?!とびっくりしながら駅員さんに届け、「お名前を!」「名乗るほどのものではござんせん」と手刀で礼をして地上に出て、やはり感じるこの「すべて世はこともなし」な気配。

お母さん、なんで死んじゃったんだろー、お母さん、もうこの世にいないのに、と思いながらも「すべ世はこともなし」なのかー。そうかー。そういうものなのかー。


うちの猫に芸を仕込みましてね。高いところにいる猫に向かって、背中を見せて「おいで」と声をかけると、バビューンとジャンプしてのっかるようになりましたのん。「もしかしてなにかやばいものが入ってるんじゃないかしら」というアメリカ仕込みのロイオールとキャットフードで釣って、そのような芸を仕込んでいたのですが、そのロイオールが終わっちゃった。ロイオールはアメリカamazonでも売ってないし、日本のamazonでも売ってないし、唯一の輸入代理店は扱いを停止しちゃったし、あ、やっぱりなにかやばいものが入っていたのかしらん、しかしこれでは猫ちゃんがもう芸をしてくれないではないですか、と考え、同じロイつながりでロイヤルカナンを買ってみました。ロイオールよりは希少性が劣るんやでぇと若干不安になりながらも、試しにやってみたら猫ちゃん、ちゃんとジャンプしてくれました。なんでもいいのか・・・うちの猫は、アイムス以外だったらなんでもいいのか・・・。

それにしてもうちの猫ってなんでこんなに頭がいいんでしょうねぇー。不思議よねぇー。

飼い主の皮膚から塩分を摂取するために仕事中に襲ってきた凶暴ないきもの。

ロイヤルカナン FHN インドア 猫用 4kg

凌霄花朝日に咲きて絽の喪服/葬儀直前にしたことリスト身だしなみ編

【白髪染め】
葬儀までまだ日があるとわかったとき、姉が「美容室行っといで!」と私のケツを叩く。「えぇー、あたいには東京のあべちゃんがぁー」「白髪染めてこいっつってんの。この2日の心労ですごく増えてるよ!」というわけで地元の美容院へ。「えぇー、あたいには東京のあべちゃんがいるんだけどぉ」と思ったんですが、「じゃ、カットもしますね」、えぇー、あたいには東京のあべちゃんが・・・。

結果は、カットはともかく、白髪染はしておいてよかったです。告別式の日は一日中弔問客に頭をさげ続けることになり、多くの方がわたしたちの頭頂部を見ることになるんですもの。さらに、家にやって来る方々は、田舎特有のついつい土下座モードになってしまうあの膝をついての挨拶をされるものですから、やはり頭頂部が目に入る。こうなってくると「白髪染めておくことは、社会人としてのマナー」なんですな。ファンデーションだけでも薄化粧も社会人としてのマナー、見る人を不快にさせないことはマナー。気をつけよう、そして私にはあべちゃんがいるんだけれども。。。

【父の喪服】
父親の夏の喪服を引っ張りだしたら、虫食い三箇所発見。オーノー。。。「このくらいの虫食い、目立たないのでは」と一瞬思いはしましたが、喪主の喪服ですよ? お母さん、こういうだらしないの大っ嫌いだったし、ほんとうに大っ嫌いだったし、と居合わせた葬祭サービス屋さんに相談。「弊社提携の貸し衣装屋さんに相談されてみては?」とのこと、その虫食いスーツをひっつかんだ姉がばびゅーんと車飛ばして借りてきました。

実は私たちの和装にもいくつか問題があり、3人とも衿芯を持ってなかったのです。ぐっ、私としたことが! これに関しても同じ貸し衣装屋さんで購入しようとしたら「あら!○○さんとこのお嬢さん? いいわよ、いいわよ、衿芯くらい貸すわよ、お母さんにはお世話になったのよ、お父さんのと一緒に返してね」と貸してくださったのです。なんたること、母の人望をこんなところでも知る。
地元資本の独立系貸衣装屋さんって商売どうなんだろうと思ってたんだけど、案外こんな需要があるのかもしれないですなー、と気付かされました。

【姉の喪服】
母は姉たちの結婚にあわせ喪服をもたせていたのですが、そのうちのひとりの姉がやらかしてました。「夏の喪服ってこの透けてるやつだと思うんだけど、カビ出てる・・・・」、パードン!? 姉ちゃん、どういう保管してたのよ! 「ふえええん、楽天で借りる、今借りると間に合うみたい」で、借りて翌日間に合いました。大阪の貸衣装屋さん、すばらしい、そしてクロネコヤマト、頼もしい。

あけてみたら、腰紐4本、コーリンベルト、帯枕、足袋、衿芯、帯揚げ、肌着に襦袢、帯締め、草履にバッグなどなど、布のスーツケースになんでも一式入ってる。この一式さえあれば確かにその場で、たとえ富士山山頂でも着物が着られるという素晴らしパック。「ほほぅ、和装の通販貸し衣装ってこんなんなってるのかー」と感心していたら、ば、今度は私の喪服の絽の帯揚げ・帯締めがないことが発覚。わわわわわわー母さん、いったいどこに!!

などとやっているうちに、実は姉、松本市内の呉服屋さんにカビだらけの着物一式持ち込んで相談しておりました。「一年に一回くらいいらっしゃるんですよねー、明日の葬儀に間に合うんでしょうかという方」と半分苦笑いしながら受けてくださり、一晩でカビ落とししてくださいました。わわわーなんという悉皆屋さんなの? みなさま、松本に男気あふれる悉皆屋あり、ですわよ! 覚えておいて!(店名聞くの忘れちゃったんだけど)

それを通夜の日の朝に姉の旦那氏が受け取り、翌日の告別式にはきちっと間に合いました。感謝の気持ちで三人姉妹分の喪服は、ここでまとめてクリーニングしてもらうことにしました。ありがとうございました、男気悉皆屋さん!

さて、そこで浮いたレンタル喪服一式。これで私の帯揚げ・帯締めが一組できましたやん! 姉が「わー足袋忘れたー」といえばレンタルセットの中からさっと。着付け師が「コーリンベルト余ってません?」といえば、はい、こちらにございます! これがケガの功名というものなのかしら。おかげさまで当日は三人揃いの家紋が入った喪服で参列することができました。

おかあさん、やるなー。これ、冬用のもあるんでしょ、ほんっとすごいわ。母親、喪服のすぐちかくに、葬儀用のバッグと草履も揃えておいてくれたんやで、やるなー。しかも平成一桁年代の品物で、なんでもすごく生地がよい。保管もよい。どんな思いで箪笥の中の私の喪服を手入れしてくれてたんだろうね。

というわけで、みなさまも復唱してください。

・葬儀の前には白髪染め
 ポリシーで自然のままにされている方は其の限りではありません。爪も手入れしておいたほうがいいですな。キラキラネイルとかは控えたほうがよいでしょうし。

・いざとなったら貸衣装屋を頼る
 案外安くてサイズも豊富! 

・姉妹複数人いたら予備のためにレンタル和装一式借りておくのもあり
 腰紐も汗ばんだまま返しちゃったんだけど、あれでいいんだよね。いいのかな。

九文の白足袋はかす死出の母 品川鈴子

とかいってますが、母親が亡くなったこと、全然実感湧いてないんです。母の遺体を安置した隣の部屋で四晩寝ましたけれども、まったく実感湧いてないんです。事務作業をやっているからとか、葬儀の打ち合わせ続きでどんどん時間が過ぎて行ったとか、母が今にも起きだしそうな顔をしていたからとか、そういう忙殺された様々なことで頭がいっぱいだったというわけでもなく、まったく実感が湧いてこないのです。

其の瞬間に立ち会ってないからでしょうか。

そこに母親がいないことは明白なのに、まったく実感が湧いてこないのです。

家に帰れば母親の声を聞くことは、ただの一度もこれからはないということはわかっているのですが、だからといって母親がこの世にいないってこともなかろう、という変に鷹揚な気分で構えている自分がそこにいるのです。

なんなんでしょうかねーこれはー。自分でも不思議です。

ちなみに「九文の白足袋」を履かせたのは二十歳になる姪っ子でした。彼女は最近覚えたメイクも施してくれました。最後に死化粧師さんが総合的に直してくれたけれど、ほんとによくやってくれました。

梅雨あくるよい葬式ができました

先週の日曜、17日の朝に母が急死しました。その前の週末に介護帰省に行っており、火曜12日に「また10日後にくるからねー」「おまえがいないと寂しいけど待ってるね」が最後のやりとりとなってしまいました。父は亡くなる前日16日の夜、隣のベッドの母親と「じゃぁ寝ますからね」「うん、おやすみ」が最後の会話で、翌朝、母を起こそうとしたらすでに亡くなっていて、死後数時間経過していたようです。
母の病気がわかったのは2012年。そのときこの病気の平均余命が3~5年と知り、今年はその4年めでした。発覚した時、同じ病気になった家族を持つ方のブログをいくつか読んだけれど「鬼のような形相で苦しんで死んでいく」と記述されている方が多く、この数年はいつもその瞬間を迎えるのが恐ろしかったものですが、母のは苦しんだあとのない穏やかな死に顔でした。いまにも目をあけて「あれ、わたし、いま寝てた?」と起き上がって声に出しそうな、お昼寝しているような死に顔でした。

この秋、地元に完成する療養型支援センターに夫婦揃って入れるよう申請書を取り寄せたところで、わたしも「四十代は介護で終わるかなー」と覚悟したばかりで、急でした。本当に急でした。とはいえ、実家には頻繁に帰っていたし、面倒を見ることもできていたほうだと思うし、この半年はそれこそ10日置きに帰省し親の面倒を見ていました。よい娘だったかどうか、親がしてほしいことができていたかどうか、その採点結果をもう聞くこともできないけれど、でも、出来る限りのことはできたと思います。もちろん最後の現場には居合わせたかったし、居合わせることができるものと思っていたけれど、それは叶いませんでした。残念です。

以前「親御さんがそんな状態なのに、東京なんかにいていいの?」と人に聞かれたことがあります。「あらー、この方にはなんとお返事すれば満足されるのでしょう」とそのお顔をまじまじと見返したものですが、こういうやり取りが先週はゼロではありませんでした。葬儀の場でもありました。そういうときは心の中に住まう小池龍之介成分がひょこんと顔を出してくれて「あなたが満足する回答を口にする義理はありませんが、なにか?」と静かに静かにやり過ごすことにしました。みなさんも心のなかに小池龍之介さんをぜひ。

以下、思いついたこと、感じたことをつらつらと。

【葬儀関連】

葬儀コーディネーターの男性が素晴らしかった。若いのに落ち着いていて必要以上に恭しくなくて気持ちの良い方だった。なんというかおりますやん、自分にとっては一生に一度のことだけど先方にとってはルーティーンになりきってしまっている方。そういうところが一切なく、母の死んだ日曜日から葬儀が終わった翌金曜日まで、毎日伴走してくれて心強かった。

やってきてもらったお坊さんがそういう『ルーティーンの人』だった。通夜の席で「チェンジ・・・」とつぶやいた親族数知れず。告別式では普通だったのでよかったんですが、通夜の席はそりゃーもう。。。
二十歳の姪っ子が「なんであんなに心がこもってないひとがやってきて偉そうな顔するの!」とプンスカ怒っていて「だいじょうぶ、あの坊さんがおばあちゃんを送ったんじゃない。あの告別式の会場にきてくれたみんなのお悔やみの気持ちや姪っ子ちゃんが読んでくれた弔辞が、おばあちゃんを送り出したんだよ、あの坊さんなんていわば刺身のツマみたいなもんなのよ」と諭した。刺身のツマにしては随分な金額ではございましたが。ほとんどが戒名代だそうです。

わたしの祖父の約40年前の葬儀は、近所の人の手を借りて執り行ったけれども今は葬祭サービス業がそれを替わりにやってくれるのね。「親しい人が亡くなった悲しみ・・・そんなもの、俺が忘れさせてやるぜ!」とばかりにタスクが山積するものだとは聞いておりましたが、ほんとうにほんとうにこんなに! コーディネーターさんが敷いてくれたレールの上を走っていくだけなんだけど、納棺、通夜、出棺、火葬、告別式、葬儀、精進落としの順に大イベントが目白押し。其のなかで、何を食べてもらうか、お礼はなにか、棺は松竹梅とあるけどどれがよいか、それを運ぶのは白い特別仕様のレクサスか普通のトヨタ車か、火葬は決まったところでおこないます、あ、でも骨壷は選んでください、六寸と七寸があります、火葬場にはマイクロバス出しますけど何人乗られますか?、親族は朝7時集合ですよ、着付けは朝5時半からです、遅れないで下さい、足腰が弱い方が多いので参列用のバスも出しますよ、告知はこちらからしておきます、あ、あと、新聞に出すお母様の職業欄はどうされますか? すべて伏せる、ですね、オッケーです、かえってそのほうが気楽という方もいらっしゃいますしね、あ、これは○○新聞、○○新聞、○○○○新聞と○○新聞、合計四紙に無料で掲載されます、告別式の時間は親族席で完全待機、そのときにお返しするお品はなにか、精進落としはなにを召し上がってもらいます? あ、あとですね、高額のお香典の方にはお早めに返礼品を送ったほうがいいんですが、はい、当社経由でオーダーしていただけますと全品二割引です、いかがさないますか?・・・自分たちだけでは絶対成し遂げられないっす、こんなこと!

こういう洗練されたサービスがあって助かった。こちらは必要なものを、コーディネーターさんが見せてくれるiPadから選ぶだけ。骨壷は七寸(ぴったりサイズでした、お母さん、なんて小さくなっちゃって・・)、祭壇は地元の花を活かした一日一組限定の凝ったデザインのものを(水木しげるさんの祭壇をコンパクトにした感じ。田舎の葬儀は花の質と量が段違いです、母も喜んでくれたと思う)、通夜の席が滞り無く進むよう様々な備品用意してくれたりとか、ほんとうに手厚かった。Tさん、お世話になりました。ありがとうございました。

火葬場も葬祭場もスケジュールがいっぱいで、結局自宅に5日も安置したけれど、お腹に載せたドライアイスの威力がすごかった。連日30度にもなる梅雨明けの長野の気候によく耐えてくれました。ドライアイスは一式で9000円でしたよ。ここらへんにも技術進歩を感じました。そのおかげでゆっくりお別れをすることができました。

火葬場は最近できた施設で、大変にモダンで清潔で明るくて厳かな建物で、広やかな庭からは対峙するようにそびえる南アルプスの山々を見ることができ、『ここを作った地元の建築会社GJ!』と親指立てたくなる場所でした。よい場所でした。火葬に立ち会うような葬儀は10年ぶりでしたが、いまってお骨をそれなりに砕いてから収骨するのですな。ほほぅ。火葬費用は2万円(税込み)、なんというかお手頃・・・なのではないでしょうか。

母親が亡くなった日の夕方、訪れた方がもってきてくださったのは祝儀袋に入った「病気見舞い」。同じ席に「告別式にいけないので」と香典を持ってきてくださった方が差し出したのは「御霊前」「御香典」。告別式には「御霊前」「御香典」。葬儀が終わった翌々日に近隣の方が持ってきてくださったのは「お寂しお見舞い」。うちの地域だけの話かもしれないけれど、覚えました、覚えましたとも!

【遺族として】

先月帰省したとき、少ない金額ではあるけれど相続税対策するべと、両親の持っている口座や定期を洗いざらい調べておいた。だいたいの財政状況がわかり、これとこれを7月に解約し、この手順で孫子にお金を分配し、そのあと姉妹で再分配するべというざっくりした日程表を共有したばかりのことでした。しかし、結局相続税対策できなかった、まったくできなかった、間に合わなかった。
日曜の朝に亡くなり、翌月曜は海の日、火曜の朝、まだ凍結されていないATMに出向きしれっと出金し、葬儀に必要な現金を取り出しほっとしたのもつかの間、火曜の午後にはその金融機関から「お母様のことお悔やみ申し上げます。つきまして口座は凍結させていただきました。以降は相続税対象の口座となっていきますのでよろしくどうぞ」と電話が。間に合わなかった、ぐぬぅ、少ない金額でも二重徴税じゃんと下唇噛みたくなる。こういうお金以外にも間に合わなかったことはいくつかある、だからみんな、思い立った日がほんとうに吉日なんやで?

亡くなった日のこと。朝、父親が母の異変に気が付き、顔見知りの看護師を呼び様子を見てもらい「残念ながらお亡くなりになってます」となり、その後、日曜にやっている地域の医師が髄液を取り検死、その間、警察が五人やってきてさらっと家探しして(母の財布まであけていったそうです)「病死のようですな」と判断つけてお帰りになる、話には聞いてましたがほんとに警察くるんですね。姉はその医師のところに死亡診断書を書いてもらいにでかけ、受理して自宅に戻ってきた。ここまでが日曜の午後1時までのできごと。
この死亡診断書はコピーを取っておくべきでした。そのままなんの考えもなく役所に提出してしまったけれど、この書類は後々生命保険の受け取りや各種手続きに必要で、再発行される類のものではありません。医療機関にその次に発行してもらえるものが「死亡証明書」で、こっちは一万円の費用が別途かかるそうな。ぐーぬーぬー。みなさまも復唱してください、「死亡診断書は受理したその足でコンビニで複数枚・要コピー」

亡くなった翌営業日、つまりは火曜日に、母がリースで使っていた介護用ベッドが回収されていき、金曜には母が使っていたポータブルトイレと車いすが回収されました。家がどんどん広くなっていってしまう。
母親は13年前に、リビングの面積を倍増させる改築を思い切って行い、リビングの隣の部屋は広めの和室の客間として使えるようあわせて改築。しかしそのおかげで今回の通夜を自宅で行うことができました。なんと準備のよい人なのでしょう。先月も二人の持ってるお金を計算したあと、「お母さんのお金だもん、これで寝室改築しようよ!」などと話していた矢先だったのです。「わたしの高校の同級生、立派な工務店経営してるよー」「よしゃーそこに頼もうぜ!」などとやりとしていたのです。でも、これも間に合わなかった。全然間に合わなかった。ほんとうにいろいろが間に合わなかった。ここ数年その日に備えて準備していたつもりだったけど、自分の見積もりはまったく甘かった。

葬儀で使う母の遺影に使えるような写真を探していたら、病気になる前の母はこんなにふっくらとしていたのかと写真を見るだけで涙がでてきた。最後は痩せて痩せて痩せこけてしまい、わたしには最後の痩せた姿だけがインプットされてしまったけれども、本当はこんなに肉付きがよく、腰も曲がっておらず、スタイルの良い人だったのだと。葬儀の場で母の若い頃の友人の方たちと話す場を持つことができ、その印象も薄らいだ。よかった。

新宿に帰ってきて伊勢丹で返礼品を見繕い、その足で仏壇売り場で分骨用の骨壷はないかと尋ねてみた。「京王さんのがたくさんそろっています」と申し訳無さそうに応えられた。おいおい、新宿百貨店戦争はずいぶんとぬるいもんじゃねぇかとちょっとフフッとなった。ついでに2本、ジーンズ買った。姉に「おまえはジーンズを買い換えるお金もないのか」と散々現地で罵られたので買った。母親はいつも同じ格好で帰ってくるわたしの姿を見て、仕事がうまくいっていないのかもと心配していたかもしれません。もうちょっとよい服で帰省してもよかったのかもしれない。反省。

準備がよいといえば、母がわたしの喪服を用意していたのは知っていたけれど、今回通夜の前日、和箪笥をあけてみたら、わたしの名前で「夏 絽 喪服」と書いてある畳紙を見つけた。母親ったら姉妹三人分の絽の喪服まで作ってた。一生に本当に数回しか着ない喪服なのに、素晴らしい手触りの正絹の絽。姉妹3人の夏と冬の喪服を揃え、冬は泥染めのものを用意したそうで。あの少ない現金収入で一体どういうやりくりをしたのか。姉妹三人揃ってそれを着、なんというか着物道のゴールに達しちゃったなという思いが。

母はたくさんの人に見送られてゆきました。梅雨も明けて亡くなった日曜を除けば連日快晴で、父親がひとまず四十九日までは一人で暮らせるよう諸々整備しながら一週間仕事も休み、ゆっくりと見送ることができました。Wさん、仕事まかせっきりでしたがありがとうございました。いろいろ思いは尽きないけれども、多くの人に愛された母の一面を、その方々の口から直接教えていただくことができ本当によかったと思っています。準備のよい人だったこと、わたしも見習っていきたい。