冬の空古民家カフェの白い猫

姉妹3人で父親の見舞いに行くついでに実家の掃除をし荷物を片付けてきた。

掃除が一段落したところで古民家カフェでランチ。地元のじいさまとばあさまたちがゆるゆると楽しくランチしてた。そうか、おばあちゃんたちはみんなでこういうところで揃ってごはん食べるのが楽しみなのねと眺める。姉たちの口からは「家どうする?」「買ってくれる人がいたら売りたい」「●●さんから畑売ってほしいって電話があったの聞いた?」などという話や「父親の終末医療の施設探さなくちゃね」などと事務的な話が淡々と続く。大変に淡々と。そうなの、家ってこうやっておわってくの? こんなに淡々とおわってくの。家無くなっちゃう。よりどころ無くなっちゃう。私はこれからどうやって生きてくの? どこで死ぬの? 残りの人生どうするの? 子供もいないし猫は役に立たないし、一生バナーつくるのはいいとして、どうやって死んでくの? 食べてる振りして姉たちの会話に加わらず、ぼんやりと考える。あぁ私っておもったよりも、ぼんやりと生きてんだなーって反省した。

「ま、一周忌終わるまでは残しておこうかね」とコーヒー飲んでるところに姉に電話が。「誰だろ、この人?」と取ると、「あ、Yさんだ」と年上のいとこの名前を口にしながら通話を続ける。別の姉と「え、Yさん?」「なんで次女ちゃんところに?」とやりとりしてる間、「もしかして・・」と声に出そうとしたところで、「え、昨夜、亡くなられたのですか」と次女の声。

届いたのはおじさんの訃報でした。正確には母の姉の旦那さん。エネルギーの有り余ったパラフルな人で大の病院嫌い、健康に過ごしていたけれど実は長患いもしていて自宅でなんとか粘り続けていたけど、どうもこりゃいかんと入院し、その10日後に息を引き取った。母の姉のMさんのことを私たちは、母にならって「姉さん」と読んだりしてたけど、姉さんは今年は夏に妹を失い、秋に旦那さんまで失っちゃった。会う度に小さくなっていく姉さん。また小さくなっちゃう姉さん。

古民家カフェから自宅に戻り、荷物をまとめ戸締まりしたあと、おじさんの家に。ご遺体に会えたけれども、なんというかエネルギーのある人だったので、今、天に登っていこうとしている勢いに私達の魂も一緒にちょっと吸われたようで、ぐったり。実は私達姉妹が3人で顔をあわせたのは八月の終わりの四十九日以来で、そんなタイミングで訃報が飛び込んでくるっていうのもなかなかないことと思う。おじさん、さすがにエネルギーがすごい。

その後、父の病院に行き見舞い。『姉たちはまたどうして父親に向かって大声で話すのかしらん、ぷんすか!』と脇で眺めながら、家族全員が揃った。残った家族全員が揃ったことも噛みしめる。そしてここからまたひとり減っていく。生きる気力もない人が一人消えていく。そしたら残された私達姉妹は家族というものであり続けることができるのかちらどうかちら。案外大丈夫だったりするのかちら。

「とは言え、納品はするんやで。請求書も書くんやで」「はーいー」

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