紙焼きの写真を束ね久女の忌(鶉)/父親の遺影を選んだお話

母親の遺影は、何年か前の家族集合写真から選んだ。私が持っていった一眼レフでホテルの方に撮ってもらった写真で、「ぐぬぬぬ。肌の色が・・・」と正直思いはしましたが、優しそうな笑顔で収まりがよいかな、とそれにした。というのも、その写真、母が病気になる直前の写真で、わたしたち家族にとっては「母親が元気だった頃の最後の写真」という意味合いが強いもので、半年経過したいま見返すと、体重も落ち始めていた時分のもので母親的には不本意だったかも。お葬式の前後はこの写真がベストだと思っていたけど、母親からしたら「えぇーこれしかないの?」と文句つけてきかねない。

だいたいお母さん、こんな優しい笑顔が似合う人じゃなかったじゃん。もっと豪快に笑って、元気で、力強くて、パワフルで、孫に囲まれて幸せなおばあちゃんとして満足するような人じゃなかったじゃん、って今なら思う。今回、父親の遺影に使う写真を探してみたら単焦点レンズで撮影したいい表情のものがたくさん出てきて、こっちから選べばよかったなーと後悔しまくり。

父親の遺影は、10年前の正月、小さい孫達によじ登れられて「うひーもう勘弁してくれー」と笑っている写真にした。葬祭屋さんに「遺影には、この写真を使ってください」とメールで圧縮せずにデータを送る時代ですよ。なんたるなんたる。それでもって父親の名前にはある文字の異体字が使われているので、墓石屋さんから戒名の確認がPDFファイルで届く時代ですよ、にゃんたるにゃんたる!

その父親の「うひー勘弁してくれー」写真ですが、お父さんのこんな笑顔を私たちは何年も見てなかったな、と。こんないい笑顔のハンサムな爺さまだったのかって忘れてたよ。2012年に病気になってから、薬の影響もあり母の性格がきつくなり、父親になにかと当たることが増え、ギスギスした空気の中で日々を過ごしてきた。あんなふうに朗らかに笑えたことがついぞなかったのでは。それは母親も一緒。

私の手元には真夏の公園で大口開けて笑ってる母親の写真が残っているけど、この笑顔を見せてくれたのはもう5年以上も前のことだったのかと。4年近くの長い間、母は病と戦ってきたのだと、どんな思いでその時間を過ごしてきたのかと思うと、考えるだけでいまでも涙が出る。でも、そんな将来が待っているなんて微塵も感じさせない、いい笑顔の写真があるんですよ、今も声が聞こえそうな大口開けて。ふざけてなんの気なしに撮った写真だけれども、これをデータに残しておいて本当によかった。こっちを自宅の遺影に差し替えようと思う。

 

葬儀後に親戚に挨拶まわりに行き、母親の姉の家にも寄ってきた。叔母は母ととてもよく似た顔立ちの人で、お母さん、ここにいたんだーってちょっとうれしく思った。おばさん、元気でいてね、お母さんの分もね。

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