天領の村の葬儀や納豆汁 木下咲子

5月1日の昼、姉からの電話で伯母が亡くなった報せを受ける。

伯母は母親の姉。昨年11月の終わりに旦那さまを亡くした。その後、急に体調を崩してしまい、1月の私の父の葬儀には出ることができなかった。名代として年長の従兄弟が参列してくれた。父の葬儀からこっち、月に一度は実家のある土地へ帰り、その都度、叔母の家にも立ち寄っていった。もともと小さな人だったけれど、どんどん痩せていく、「もう早くあっちに行きたい」と言い出す、酸素ボンベをつけるようになる。なんてことだ。近づいている。あちらが近づいてきてしまっている。去年の夏には「私のことを母親と思ってくれていい」と言ってくれた彼女が、母親の顔にそっくりな彼女が、どんどんあちらに近づいて行ってしまっている。そんな心配をしていた矢先の出来事だった。

葬儀は連休の間に執り行われた。本当に、こんなことを言ってはアレなのだけど、この九ヶ月で同じ火葬場に三度足を運ぶことになった。叔父の葬儀にも参列した姉は四度、身寄りのない親戚の葬儀を先月執り行ったばかりの別の従兄弟は五回もその火葬場に行くことに。担当の男性たちとも顔なじみとなってしまい、粛々とした気持ちはあるもののなにか慣れのようなものも湧いてしまう。しかし拾骨のときには「こんなに小さくなってしまったのか」と膝が落ちそうになった。

慣れといえば、葬儀も随分と緊張感のないもので、葬儀屋は故人の名字を間違い、弔事は一切飾りのない型通りのもの、精進落しの場で献杯の挨拶では長老が「これからの故人のごはっt・・・」と言い間違える始末。まったくもう、慣れるもんじゃないですね。

父親の遺影もきちんと整えてない時点でこんなことになってしまった。年齢によると思うけど、七十五を超えると、先だった相手を半年以内に追って行っちゃうものなのかもね。叔母は五ヶ月で、父は半年で、相手を追っていきました。おばさんにはもう少し甘えたかったんだけどな、お母さんにそっくりだったから。

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