西国の夏制服の白眩し/自分の遺言書に書き足すことが一項目増えました。/火葬のお話

海の日の月曜は母親の命日で、もともとその日は姉妹3人で実家に集まる予定でおりました。が、先週金曜、今度は母の兄弟の訃報が入りました。もう、ほんと、もう喪服着るのいや。もうほんといや、もう打ち止めにして。お願い、こんなに親族を奪わないで。一年で火葬と告別式に5回出るって尋常じゃないです。

叔父さんは私の母と同じ臓器に病を抱えて、それでも生来元気な人なのでそこまで病が重いとは思っておらず、5月の連休の叔母の葬儀には自分で車を運転してきて最後のお別れをしていったくらい。火葬場でお別れしたあとは拾骨を待たずに「告別式は体がきついから」と途中で自宅に戻っていったけれど、あれから二ヶ月で旅立つとは思ってもみなかった。それも母の命日に告別式を行うことになるなんて。

叔父さんはあっけらかんとしていましたが、覚悟はしていたようで、遺影の写真も自分で選んでいたし、突然の訃報に駆けつけることになるであろう九州に嫁いだ娘さん(私のいとこ)一家五人分の飛行機代も正規料金で往復用意していました。遠方の親戚が泊まるホテルも指定していたし、そのお金も用意されていた。なんて行き届いた人だったんだろう。おじさんともっといろいろ話しておけばよかった、お母さんのこといろいろ聞いておけばよかった、なにしろ若い、もっと長生きできるとみんな思っていたし、弔問客も取引先、仕事仲間、地域の人、趣味の会の人と様々で、みんなに惜しまれていってしまった。残念です。

いとこの息子さんと娘さんはいま同じ高校に通っていて、はからずもその高校の男子用の制服と女子用の制服を見ることができ、初々しくとても眩しく。妹ちゃんは「○○先輩の妹ってあんた?」とか「○○先輩の妹さんですよね!」って毎日誰かに話しかけられてるんだろなーってくらい、おにいちゃんがイケのメンで、あーあそこにうちのママン系列のDNAが出たかとニヤニヤ見守ったりもしました。葬儀の最中は悲しくて涙が止まらなかったけど、終わって精進落しの場を見回すとこうやって血族の種がちらほらと蒔かれているのを確かめることもでき、そこではじめてちょっとだけ救われるような気がしました。

 

この一年は法事続きで、東京の友達より長野のいとこと会う機会が多く、彼女たちとは二ヶ月ごとに会っている計算。若い頃は連絡を取り合うこともなかったのに、今になって親しくなるなんて。そしてこのまま老後まで、弔いの席や法事の席で会うようになるんだろう。LINEの交換することはないけど、お互いのスマホのカメラロールを見せ合うことができるくらいにまで距離感が縮み「トルコの塩の人、いいよねー」なんて話ができる日がくるなんて。

私は18年前の祖母の葬儀のときに伊勢丹で買った喪服をまだ着ています。購入時は体格が立派だったので、にゃにゃにゃんと13号の喪服を購入したのです。わーまったくもう! なんてガッチリ体型だったのか! あれから時を経て、いまは9号サイズになりましたが、13号の喪服でこの五回の葬儀(うち二回は和服)を乗り切ってきました。が、そのいとこに「その喪服って、おばさんの遺品だったりする? サイズ大きすぎない?」ととうとう指摘されました。あぁぁぁ、バレたか、やっぱり大きかったか!

しまむらに行って一枚買うか、今からリメイクするか、ビッグママに相談してみるか。20年前の洋服って生地がすごくいいのですが、来月になったらすぐ新盆で、リメイクに間に合うか間に合わないのか微妙。直したらそこからぴったり着る御用が減るかもしれないし、そこに賭けてみるのも吉かも。

 

このあと、ちょっと生々しい話が続きます。世界の面白動物画像でお茶を濁しますので、苦手な方はここらへんでお引き取りをば。

http://kimonomichi.tumblr.com/post/163094242506

http://kimonomichi.tumblr.com/post/163005494971/giffindersite-some-dude-in-a-brazilian

http://kimonomichi.tumblr.com/post/162944565901/catsbeaversandducks-roscoe-the-adventure-cat

 

火葬の話。

私の両親と伯母夫婦は、同じ火葬場で荼毘に付されました。昨年の今頃(というか、昨年の明後日)、初めて行ったときは「スタバみたいな火葬場だな」というのが第一印象。設計は地元の業者じゃないんだろうな、東京の名のある設計事務所が担当したのではないかしらん。できてまだ2年、住宅街からも農地からもはずれた少し奥まった森の中にあり、ハナミズキが植えられた公園のような広々とした駐車場があります。車寄せに霊柩車を横付けすることができます。霊柩車が到着すると白い手袋をきっちりとはめたスーツ姿の三十代後半の男性二人がやってきて、二人同時に同じ角度でお辞儀をし、火葬のセレモニーが速やかに始まっていきます。

厳かなデザインのステンレスのストレッチャーに棺を移し、御影石の床の最後のお別れの場に運び込まれます。その部屋の天井には、絶妙な角度で細く薄く窓が切り取られており、ここから差すかすかな光が空間全体を落ち着いたやわらかい明るさに演出し、自然と厳粛な気持ちになります。そこでお別れ。火葬が始まります。

火葬の間、遺族は、ライトブラウンの色で統一された待合室で待機します。天童木工の椅子とテーブルが使われており、お茶と和菓子が出されます。1時間10分ほど待つと「拾骨のお時間です」と係の方が声をかけてくれ遺族は拾骨室に移動。

その部屋にはわざわざ「拾骨室」などと札が掲げられてはおらず、照明が行き届いた明るい真白な部屋で、一旦焼かれたお骨がきれいに整えられて台に載っています。台の上にはスライド式のトレーがかかっていて、そのトレーの上には骨壷が置いてあり、遺族達は体の下の方から順々に、入れやすいお骨から骨壷を埋めていきます。取りこぼしたお骨は係の方が上手に入れてくれ、最後の喉仏と頭蓋骨を置くところは喪主が担当しますがここでも係の方が上手に介添えしてくれます。最後に残ったお骨はできるだけ掃き集め骨壷へ、余ってしまったチリ状のものは「こちらでご供養いたします」と別の容器に入れられます。係の方は、白い風呂敷の上に骨壷を置き、直線的な美しさを保ちながら粛々と骨壷を包みます。

・・・・私はこの洗練された火葬の儀式がデファクト・スタンダードだと思っておりました、思っておりました。だけどねぇ、おじさんの火葬場はそうじゃなかった。

建物や設備の古さはまだ理解できるとして(それでも拾骨までの時間が1時間40分かかると知り驚いた)(その時間に遺族の待合室にはビールとさきイカと茶菓が振る舞われました、え、さきイカ? ビール? そういうものなの?)(拾骨室に移動すると、生きていた人が焼かれたままの姿ででてきて、少なからずショックを受けた)(そこでは匂い消しのために、大きな換気扇が二機フル稼働していたのにも胸が痛んだ)、係の方の動きがあまりにも・・・。うちの父親や母親があんな風に扱われたら、ショックで後ろに倒れ込むか、あるいは「ふざけんなー」と泣きながらタックルしそう。あの場に父方の親戚の気性の激しいおじさんが居合わせたら「その扱いはなんだ!」と大声で怒鳴ったと思う。あれが案外普通の振る舞いなのかもしれないけれど、私にはとてもショックだった。

火葬場職員の立ち居振る舞いセミナーとかやってないの? やろうよ、受講してよ、今ある設備でも改善できるところたくさんあるよ? 遺言書に「火葬はお金がかかってもいいから、ちゃんとその費用を残しておくから、できるだけ新しい施設でやるように」と書き足しますよ、えぇ書き足しますとも。所変われば品変わるといいますが、こういう場面でもいろいろあるのねえと思った次第。あぁ、私の地元の行政、立派な火葬場建ててくれて感謝しますよ! ありがとう! ふるさと納税を今回、初めて検討してますよ! 

終活読本 ソナエ vol.16 2017年春号 (NIKKO MOOK)

2 COMMENTS

いち

まずは暑い中お疲れ様でした。
気持ち的にもしんどかったね。

で、火葬場によってそんなに違うんだ?!
ええ~、最後の最後でそれはちょっと……。
死後の心配もしないといけないのね。
うかうかしてらんないわ!

ところで私も先日夏用の喪服買いましたよ。
涼しいね、よく出来てるね!

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ukasuga

そうなのよ、奥様!あんなに準備の行き届いた方でも、まさか火葬場までは・・・と。

夏喪服の話、今度きかせてー。

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