檸檬の実蹴飛ばし続け夏目坂/いとうせいこう×安田登「漱石と能」トーク、そして、奥泉光+玉川奈々福での『夢十夜』の語りの夕べ

文鳥・夢十夜 (新潮文庫)

トークショーの概要はla laguのサイトからまるっと引用。
いとうせいこう×安田登「漱石と能」トーク、そして、奥泉光+玉川奈々福での『夢十夜』の語りの夕べ
 夏目漱石が能の謡を習っていたことはご存じでしょうか。
 師匠であった宝生新(1870-1944。ワキ方、下掛宝生流)によれば「非常に色気のある謡い方」だったという漱石。その能との関係を下掛宝生流の能楽師、安田登さんと、最近能を習い始めたという、作家のいとうせいこうさんが語ります。能の影響が色濃いといわれる『夢十夜』については、背景に触れつつ、安田登さんの語りと奥泉光さんのフルート、玉川奈々福さんの三味線で聴いていただきます。
 夏目漱石(本名金之助)は1867年、江戸牛込馬場下横町(現在の新宿区喜久井町)に誕生し、100年前の1916年、早稲田南町の「漱石山房」にて49歳10カ月の生涯を閉じました。会場となるla kaguからいずれもほど近い場所です。
 漱石の親しんだ土地で、漱石の能を語る夕べをご一緒しましょう。

いとうせいこうさんが「国家の威信をかけて英国に送り出された夏目漱石が、帰国後、当時の朝日新聞に入るのって、今でいえば『えぇーニコニコ動画に入社しちゃったの?』って感じのことですよねー」と噛み砕いて説明してくれてよく理解できました!

お能はシテの流派が五つあるのに対しワキは三つしかないのです。夏目漱石は下掛宝生流の人に謡を習うんですが、そのきっかけが面白くて、正岡子規がすごく謡が好きで→漱石も謡が好きになったというのと、高浜虚子が謡がすごく好きで→漱石も好きになったというもの。明治時代は謡がうたえるのは成人男性の嗜みとしてあったとかなかったとか、「草枕」は漱石がきちんと謡を習い始める直前のもので、それ以外の作品とは能に対する扱いが格段に違ってくる。そして「夢十夜」の「第一夜」は、能の世界そのものを文学に落とし込んだものじゃったんじゃー!! ズガシャーン!(雷が落ちる音)

わたしは安田さんというワキの方を初めて知ったのですが「下掛宝生流というのがあれば上掛ってのはあるんですか?」といとうせいこうさんの質問から「観世や宝生は上掛なんですよ」という回答を得て、えぇー上掛っていうのがあるんですかー知りませんでしたー。「上掛というのはどちらかというと上品なものでしてね」、えぇーそうなんですかー、実はわたし、お能はどうも観世の人のばかり見てる気がするのですー、「漱石が謡を習ったのに、谷崎潤一郎は狂言習うんですよ」、えぇーどっちかっていうと浪曲とか義太夫とかやりそうなのにー、「茂山流です、関西にいましたからね」、えぇー能・狂言は文人の嗜みだったのですかー!!! 

こんな楽くて濃いトークショーを身近な(先日散々disった)施設で聴くことができ大変な収穫でした。その後夢十夜の朗読というかライブがあり、こちらも大変に興味深い内容で大変楽しい一夜となりましたことよ。能や謡に関してもいろいろと刺激的な情報に触れられ、こっち方面を勉強すると楽しそうだなーなどと思いました。近藤ようこさんの「夢十夜」、豪華美麗本で出版されないかちら、どうかちら!


昨日のトークショーを再録している方がいたのでご興味ある方はぜひ。

https://twitter.com/bluebirdland/status/786223032784134145

https://twitter.com/bluebirdland/status/786243178718375936

https://twitter.com/bluebirdland/status/786318938363662336

https://twitter.com/bluebirdland/status/786321109738061824

1 COMMENT

asoyoko

うわー、楽しそうだったねー。
安田さん、前勤務先でも講演でおよびしたことがあって、身体感覚的なお話もすごーく面白かったんですよ。感じオタクだし。なかなか芸域の広い方ですよね~。

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