躾の話

正月、実家で母の父親の話になった。
母の父親という人は、昭和のはじめ、山岳ガイドとして生計をたてていた人らしい。ネットで調べると名前が出てきてびっくりした。今、生きている人ならともかく、昭和三十年代前半に亡くなった名もなき人の名前が、平成の今、ネットで見ることができるなんて。
その父親は、農地解放までは財産家であった家の出身で、この家の躾が相当厳しかったそうな。
母の姉が結婚するとき、若い旦那さんを連れてその家に挨拶に出向いた。そこでお茶を飲みながらひとしきり世間話をした後、その家の奥さんが新婚の旦那さんに向かってこう言ったそうです。「それじゃぁこれから食事の支度をしますので、わたしたちは一旦台所に下がりますが、その間、あなたはこちらの本でもお読みになってらして」と、作法の本をついと差し出したそうな。
そんな家で育った祖父に育てられた母親は、「食事どきは、父親に火箸で躾られた」という。
 箸の持ち方がおかしい、ビシリ! 
 肘をつくな、ビシリ! 
 茶碗の持ち方がおかしい、ビシリ! 
 食事どきは左手も使え、ビシリ! 
 ご飯粒はひとつも残すな! 
 茶碗・皿は綺麗に使え、食べ残しは許さん、ビシリ!
 皿には食べられる分だけを取れ、ビシリ!
 
「躾には厳しいおとうさんだったわー」と母が遠い目で話すのですが、えぇー、おかあさん、私たちにも火箸使ってたよねぇ、火箸っていうか菜箸でねぇ、やられたやられた、あらそうだったかしら、やったわよー、●●子ちゃん(姉の名前)がごはんのとき泣いたの覚えてるもんー、おかあさん、わたしたちのと記憶がごっちゃになってるんじゃない? そうかなー?
食べ方が汚い人を見ると「げげっ」となり、すごくいやぁな顔をしちゃうこの性格は、この山岳ガイドのじいさまから植え付けられたDNAだったのか、と納得した次第。周囲の人、すみませんすみません、新年からこんなネタですみません、本年もよろしくお願いいたします!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください