世田谷の杜で出会った須賀敦子/世田谷美術館「ブルーノ・ムナーリ ― 役に立たない機械をつくった男」

週末にお友達と行ってきました。

世田谷美術館まで

・世田谷美術館、近いんだか遠いんだかよくわからない!
・三軒茶屋から小田急バスに20分ほど揺られて行く。
・途中、東京農業大学の前を通りかかったとき、ここに遊びに行こうと二人で強く誓う(桃園の誓い)。
・小田急バスの電光掲示板、なっちゃないねぇ。次の停留所も知りたいけど、次の次の停留所も知りたいんやで! 終点までの全体を知った上で、自分がどこに行くべきかを理解したいんじゃよ。その点については都バスの電光掲示板を見習っていただきたい。
・世田谷のバス、みんながみんな譲り合ってて麗しい。

砧町で降りて、大きな焼却煙突の脇を通り世田谷美術館へ。世田谷美術館はバブルのときに建てられた建物で、スペースはゆったり、建材がとても立派。贅沢な資材をふんだんに使った広くて天井の高い優雅な建物。「これがポストモダン建築の特徴です」と建築学科卒業のお友達の解説を聞きながら館内に。

ブルーノ・ムナーリ展

区の持ってる美術館で1000円の観覧料の美術展なんてたいしたことなかろうと思っていましたが、大回顧展といってもいいような内容でした。「イタリアのディック・ブルーナみたいな人」といってましたが、ほんとうにそう。役に立たない変なモビールを作ったり、カンパリのポスター作ったり、あらゆる人が芸術に参加できるよう敷居を下げる活動をしたり。手を動かして作る芸術から、彼の事務所に初めてやってきたMacintosh のマシンに感動してうわーと作ったんんだろうなーと見て取れるCMYKをずらして作ったポスターには少し微笑ましくさせる。複雑に切り抜いた紙を駆使し、パラフィン紙を何枚も重ねて物語の少し先を透過させている絵本や、スタンプ(Photoshopのブラシというか)を駆使し赤ずきんの翻案「みどりずきんちゃん」という絵本を作ったり。物販コーナーでは、その複雑な作りの本はすべて完売となっていました。ぐぬぅ。こういうクリエティブができる人が、いまのテクノロジーを手にしたらどんなものを世に送り出してくれたことでしょう。

明治時代の終わりに生まれたブルーノ・ムナーリは、第二次世界大戦が終わったとき30歳。そこから文化と芸術を解放していく運動に参加していきます。う、う、ん? それって須賀敦子のコルシカ書店の仲間たちがやってたような話? ブルーノ・ムナーリ世代の先輩たちの活動を彼女たち世代が引き継いでいったのかな? あれ、そういう話だったっけ? ん、ん?、モヤモヤっとしたものが頭に浮かびましたが、物販コーナーで「木を描こう」という彼の絵本の役者が須賀敦子と知り、なんとなくつながったような気がして満足しました。満足!

木をかこう (至光社国際版絵本)

コルシア書店の仲間たち (文春文庫)

 

美術館はカフェやレストラン、アート関係の書籍の閲覧室も併設されていて、半日いても飽きない場所でした。砧公園を通り抜け、東に大きく浮かんだ白くて丸い月を見上げながら用賀駅までの整備された遊歩道をのんびり歩き駅に戻る。

若い頃、年上の彼氏に、岡本の一軒家蕎麦屋にデートに連れて行かれたことがあったのを突然思い出した。蕎麦野県生まれ田舎育ちガールに、そのスノッブさが伝わるわけないっての、といまになって毒づきながら、童貞線としか読めない略称DT:東急田園都市線に乗っておうちに帰りましたとさ。

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