天皇杯の柏サポの勇姿を見て

その後ネットをうろうろしていたら、こんなひのいタイトルのアンケートが!
民度の低いサポーターといえばどこのJリーグチーム?
民度って・・・あぁた、公な言葉にするのはいかがなものかと。
でもやっぱりあそこのチームかなぁ・・・
今日の午後は天皇杯みながら残りの仕事。準決勝でFC東京が1点とったところでaCaveに今年最後のランチを食べに行きました。食後、書きあぐねている人のための小説入門を読みながら、コーヒーをいただく。この本、書きあぐねている人のための小説入門でもありますが、読みあぐねている人のための小説入門でもあります。
なぜ一気読みできる小説はつまらないのか。
本当の意味で「小説語」で書かれた小説は、最初のうちはスラスラ読めない。
本来小説とは新しい面白さを作り出すことで、そのためには「面白い小説とは何か」ということをつねに自分に問いかけながら書かれるべきものなのだが、そうして生まれた新しい面白さというのは、新しいがゆえにそう簡単には読者には伝わらない。たとえば今から10年以上前、漫才のダウンタウンが出てきたとき、彼らのつくりだす笑いはそれまでの笑いとは明らかに異質だった。そのため、最初のうちはどこで笑っていいのか、よくわからないという人が大勢いたが、それと同じことだ。
「面白い小説」のほめ言葉として、よく「一気に読んだ」というのがあるけれど、だからそれはほめ言葉ではない。そういう小説は、すでにある面白さ、すでに読者が知っている面白さに則って書かれているわけで、これは私の考える小説の面白さではない。
それに、そもそもの話、「一気に読める」ということは、早くその小説の世界から出てしまうということで、本当に面白い小説なら、そんなに早くその世界から出たいと思わないはずではないか。
「一気に読める」という評価の仕方は、どこかサラリーマン的で、読書にまで“生産性”や“課題を早く仕上げる”という社会的な価値観が入り込んでしまっている響きがある。そういう価値観が揺らがない小説だから「一気に読める」。当然、人生観や世界観が変わることはなく、一気に読んで、その満足感なり達成感なりを持って、また翌日の仕事に戻っていく・・・。

なんとなく溜飲が下がる。そんな達成感を得られる興奮した時間を味わえることは、多くの人にとっては楽しく得がたい時間だと思うけれど(私も一気読み至福派ですが)、彼のいうこともちょっとはわかる。うむうむ、あぁ、楽しい、いひひ、えへへ、などと読みながら、仕事場へ戻る。
戻ってテレビをつけたら、天皇杯の勝利者インタビューが終わったところで、ユニフォームを脱いだ選手たちがはしゃいでいる姿が大写しになる。あ、なんとなく、これはFC東京の選手らではないな、と思ったら、やはりそうでした。およよ。サッカーはよくわからないなりに、FC東京を一応気にかけてはいます。
書きあぐねている人のための小説入門 Jリーグ 2009年カレンダー
書きあぐねている人のための小説入門 保坂 和志
Jリーグカレンダー、どこのサポーターさんも来年はみんななかよくー!!!
ところで、上戸彩ちゃんが演じた映画「あずみ」のあずみは、設定ではハーフの子なんだから、ベッキーがやってもよかったんじゃないかしら、人が一人も死なない映画になると思うけど。

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