阪神淡路大震災によせて

避難所で、長時間瓦礫の下にいた為に血行障害で壊死した両足を切断したお婆ちゃんが、「今、何が一番必要?」と問うヒデ坊に、こう言った。「ラジカセがあったら、今日のあんたらの音楽も、昨日までいた孫達の声も、録音して毎日聞けたのに」。ハイチの救助の映像を観て、思い出す。(by中川敬)
(続き)1995年3月4日、神戸市長田区野田高校の体育館での演奏の後の会話だった。次にそこで演った時は、既にそのお婆ちゃんはいなかったが、その時のお婆ちゃんの一言が、「モノノケ・サミット」とバンド名を固定、後の『アジール・チンドン』作品化へと繋がっていったのだった。(by中川敬)
(続き)その日は、それまで一ヶ月間「音楽を聴きたくない人もいる」であろう判断から決して避難所の中では演奏をしなかった我々が、現地ボランティア達の強い勧めにより、初めて、生活空間であった体育館の中で、音響機器を使って演奏した日でもあった。(by中川敬)

http://twitter.com/soulflowerunion

満月の夕~90’sシングルズ
今日は新橋おにかけライクな釜揚げうろんに挑戦。挑戦するほどでのレシピではないのですが、アグリカルチャー業界で注目度華々しい「辛味大根」の入手から物語は始まる。食べ終わることで、物語は終わる。

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