「落ちるときは一緒、あがるときは私だけ」/無縁死の話

友達と話してて出てきたフレーズ、しびれた!
ほんっとそういう人増えた気がするわー!

堕ちたウカ様☆
無縁死の話。
気がつけば82歳:無縁死
先日 NHKで放映された「無縁死」は随分大きな反響があったらしい。 私も敬遠したくなる題名だったが結局熱心に見て、考えさせられた。
人間、所詮は一人、どういう死に方でも死に変わりは無い、孤独死それも結構と割り切っていたつもりが、現実を見せられると動揺した。 寂寞たる思いは理屈じゃない。
昔はそれを避けるため親類縁者の付き合いに気を遣い、地域社会から排除されなように義理を尽くし、階級制度に甘んじ、会社で嫌な事も我慢し、自分の国のためにもつくした。
子ども連れで親戚を訪れるのは日常の恒例だった。
親が早世すれば、そこの子どもは親戚が手分けして成人するまで面倒を見るのが当たり前だった。

敗戦を境にして若者の意識は変わった上に発言権が強くなった。中年以上、ことに高齢者層は「民主主義の世の中になったのだから」の言葉に押さえられて何も言えなくなった。
窮屈なしがらみは避けられ、能力主義で落ちこぼれれば国家がみるべきだとなる。
女性が社会に進出すれば生活のための結婚はなくなる。
我々世代の夢が実現したとも思える。
大雑把に記したが、私も夢見て来た個人の自由を追い求めた一つの結果が「無縁死」「行旅死亡人」だとすると考えさせられた。
今の私は家族、友人に恵まれ幸せだが、この歳になって思うことは昔からの親友,知人に先立たれ、体力の衰えは否めない。若いとき思い描く以上に高齢期は厳しいと若い人達に伝えたくなるがオセッカイなのだろうな。

☆☆元銀行員の株日記☆☆BLOG(ブログ):凋落した福祉国家スウェーデンの惨状※2008年の記事です。
文字通り「ゆりかごから墓場までの社会福祉」を誇っていたスウェーデン。
だが、経済不況でそのシステムが揺らぎだした高率の税金を取られるが、医療や老後などの社会福祉は万全で、世界の模範とされたスウェーデンであるが、実は、現実はかなりひどい状態になってるという。
(中略)
http://fukushi-sweden.net/news/2005/sweden.fukushi.05.htm
スウェーデンモデルの破綻
理想的福祉の国スウェーデンというイメージをぶっとばすような、衝撃的な本が出た。
武田龍夫『福祉国家の闘い』(中公新書)である。
(中略)
第二章「福祉社会の裏側──その光と影」の冒頭には、次のようなエピソードが紹介されている。一世紀を生きてきた老人に大学生が尋ねた。
「お爺さんの一生で何がもっとも重要な変化でした?」と。
彼は二度の世界大戦か原子力発電か、あるいはテレビ、携帯電話、パソコンなどの情報革命か、それとも宇宙衛星かなどの回答を予測した。しかし、老人の回答は彼の予想もしないものだった。
「それはね──家族の崩壊だよ」。
この一言に高福祉社会の問題が集約されている。
老人の介護はいかなる時代でも家族の中で行われてきた。しかし今は女性たちが外で働くようになり、家の中の仕事はすべて「公的機関」が引き受けている。すなわち乳幼児の世話をする託児所、学校での無料給食、老人の面倒をみる老人ホーム。
この男女完全平等と女性の社会進出、高福祉による公正で平等な社会を目指した実験は、現実には何をもたらしたか。

「女性は家に入ったほうがいいんですよぅー」とI氏がよく言っていました。最初は「なんて時代遅れなことを・・」と思ったものですが、今になればその意味がよくわかります。「気がつけば82歳」は、とてもいいブログなので、みなさまも是非!
全然関係ないけど、30代の年収が10年前に比べて下がったというけれど、あれだよね、生活コストや社会保障費がえっらく高くなっているだけだと思うよ。10年前・・・というか、ネットと携帯が出回りはじめた15年くらい前までは生活にもっと金がかからんかったような気がするよ。

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