春塵や「黙れこわっぱ」余儀もなく/真田丸の海津城ってこの後も重要な役割を果たすのですね

真田丸 前編 (NHK大河ドラマ・ストーリー)

先週、春日信達が殺されてしまった海津城。百日紅の美しい庭を持つお城ととして描かれていましたが、あのお城は武田信玄が築城し、森長可の居城となるが本能寺の変のバタバタで森長可は逃げ、空っぽになったところを上杉・遠藤憲一・景勝が入り、もとの持ち主だった春日・前川泰之・信達が景勝に仕えるかたちで入ったももの、真田家に騙されて彼は死ぬ、と。Wikipediaの春日虎綱の項目をまるっと引用します。

春日氏は次男信達が継承し海津城代も務めるが、天正10年(1582年)3月の武田氏滅亡後は森長可の支配を受ける。同年6月の本能寺の変後、信達は美濃に撤退する長可を妨害し、越後の上杉景勝に属したが、7月13日、北信での自立を画策する武田遺臣の真田昌幸や北条氏直らと内通したことが発覚し、激怒した景勝によって誅殺され、これにより高坂氏嫡流は滅亡した。
これが先週の「調略」の回。ひどい!真田家ひどい!!! 景勝はあれで激昂してたのか! 激昂っぷりがクールだぜ、遠藤憲一! 7月13日が信達処刑の日とすると、お庭の百日紅が咲いててもおかしくはないのよね。これって原則旧暦で話が進んでるんだよね? 黒木華ちゃんがざくろみたいな果物を運んでいたからいまの暦だと8月の終わりくらいの話なのかな?

さらに慶長5年(1600年)3月、初代川中島藩主として北信濃に入った長可の弟、森忠政によって信濃に残っていた信達の一族は残らず探し出され18年前に長可の信濃撤退を妨害した罪で一族全員が磔刑に処された(森家先代実録)。
ひえええ、森長可の弟の忠政くん、森蘭丸くんのおにいちゃん、そんなことしなくてもしなくても・・・過ぎた話ではないですか、そんなわけにはいかないのでしょうか。

しかしまぁ美の壺の選択がひとつ間違っていたたら真田家一家が春日家になっていたかもしれず、そうしたら三谷さんも「春日丸」というドラマを描いていたかもしれず。そしてこのこの時点での堺雅人演じる真田信繁は15歳、中学三年生で「おじさまのように調略できるようになりたいのです!」と三指ついて教えを乞うたりするわけです。大泉洋が室賀たんに、「黙れ小童!」と叱りつけられるのも、元服しているとはいえまだ17歳の青年じゃ致し方ないことでしょう。

それからいろいろな出来事がこの城の上を通り過ぎ、秀吉が死に、関ヶ原の戦いがあり、大阪冬の陣・夏の陣を経ていろいろな始末がつき、生き残った大泉洋が入城するわけですな。ええええーそんな大事な城だったとは! 知らなかった。松代大本営と温泉のことしか知らなかった・・・。

松代城の夜桜。なかなか素敵だそうですよ。

これはよい季節になったら聖地巡礼の旅に出なくてはいけませんね。景勝くんの新潟を経由して → 長野駅下車、川中島合戦の地と松代城を見て、上田へ → 上田では真田家放送で沸いている町の雰囲気を十分に堪能したのち佐久に移動し → 高原列車で小淵沢に出て → 帰りは中央線で「武田勝頼が死んだのはこの辺なんやでぇ」と車窓から指さす感じの真田丸北信越ロードの旅をっ!! もちろん途中でおやきを4つ取り出して「このうち二つは野沢菜ですよ」と調略も繰り広げる、完璧ね!

今日のおまけ。ふさふさとともにあらんことを。

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