電線のからみし足や震災忌 京極杞陽

京極杞陽
 電線のからみし足や震災忌
久保田万太郎
 波の音をりをりひびき震災忌


 震災忌向きあうて蕎麦啜りけり


 かまくらの月のひかりや震災忌
久保田万太郎も京極杞陽も明治生まれの人。明治41年生まれの京極杞陽は15歳で震災にあい、生家である旗本屋敷を消失し、父母、祖母、弟、妹を一度に失う。残された姉と二人でいきぬき、昭和になってから俳句に出会い、俳句雑誌「ホトトギス」に名を連ねることになります。久保田万太郎も明治生まれ、だけどちょっと世代をさかのぼり22年の生まれ。震災には三十代で遭う。その震災にあった世代の違いがこの俳句に出ていると思います。
ここでいう「震災忌」は大正の関東大震災だけれども、平成の今は阪神淡路大震災のことを示すことも多いと思います。今日は1月17日。


結婚式でお花もらってきた。
「東京(在住)組はでかい花をもって帰ってね☆」ということで
高砂に飾ってあったお花をごっそりと。
カーネーションはウカ様の大好物で、アワワ、早速むしゃむしゃやられました。

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