バブルだったの?

昨日、能面展を見に行ったのは、会社年齢的にいえば同期同年代(私は短大卒・彼女は四年生大学卒)の二人と、三十代前半の女性。「オウム真理教事件のときは中学生でした」という彼女と、1990年~1992年あたりのクリスマスや会社の忘年会ってどんなだったのかという話をした。
私の会社は、舞浜のホテルで宴会+そのまま宿泊、遊びたい人はチケット欲しい人はディンズニーランドの手配するよーという宴会とか、横浜のホテルで宴会+一泊宿泊というのをやったよー、社を上げての新人歓迎会は雅叙園だったーなんて話をした。
 三十代の彼女が口をぱくりとさせていう、「バブルですね!!!!」
うーん、社の宴会担当が単にホテル好きだっただけかもしれんのう。
確かに、今、思えばずいぶん景気のいい話だけど、お金が勢い良く回っていた、という印象もあるのよね。確かにお金が余っていたのかもしれないけれど、「来年も多分ボーナスたっぷりでるから、今使っても大丈夫!!!」「今、バンバン使っても、株は右肩上がりだし、土地もあがるし、年金もしっかりあるし、大丈夫大丈夫!!!」ってみんな思ってたんだろうなー。
でも、洋服はすごく高かった。カットソー一枚とっても7800円とか8900円した。どれもしっかり作ってあるとは思ったけど、一枚一枚躊躇しながら買った。今みたいに「リクルートスーツ」というものがなくて、自分で自分に似合うスーツをよくわからないなりに少ない予算の中から必死に選んで就職活動した。私は紺の丸襟のスーツにボウタイの白いブラウスで就職活動してた。入社式はモスグリーンのスーツだった。1000円くらいで消費できる楽しみなんて、本と漫画くらいしかなかった。なんでもかんでも高かった。スタバやタリーズのようなコーヒーショップはなくて、当時はまだドトールがあったのみ。お茶したかったら一杯800円とかする落ち着いた喫茶店に行くしかなかった。でも、「大丈夫、だいじょぶ、いずれ、あのお局様みたいに、これからも稼げるだろうし貯金もできるだろうし!」っておもってやってた。
あー、今はそれがないんだー。「いずれ、稼げる、だろうし」ってのがないんだー。
金曜日の丸ビルを歩いていたら、気の利いた居酒屋を貸切にして忘年会をやっている団体を何組もみた。バブル期のホテルの高いのはよくわかるんだけど、うまいんだかまずいんだかよくわかんない料理をありがたがって食べるより、よっぽど合理的で気が利いてるよね。どっちの忘年会がいいのかね。
まぁなにがいいたいかというと、20年ってあっという間だし、それだけ時間が過ぎても人はそんなに変わりゃしないって話よ。みなさまもよいクリスマスを~。

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