宮城県亘理町へ農業支援のボランティアへ行ってきた


亘理町のマンホール。かわいい花柄。
もの買って送り届けるだけじゃなく、なにかやはり、現地で身体を動かして支援活動したいなー、でもヘタレだから何日も滞在するのは精神的にできないかもー、と思って、ネットで検索して見つかったのは、深夜バスを使った0泊2日の弾丸バスツアー・ボランティア。主催元は、東日本大震災被災地支援の会という団体、ボランティアのコーディネートしてもらって、現地まで運んでもらえるのならば、こりゃーいかない手はないと申込みました。
申し込んだ時点では、行く先は「宮城県南部」、作業内容「未定」だったのですが、申し込んでから数日後、行き先は「亘理町」と作業内容が決定した旨連絡が届きました。
ボランティア活動内容:JAみやぎ亘理の依頼により、イチゴ農家の田畑に蓄積したヘドロの除去作業が主な作業になりました。
といわれましても、ヘドロがどんな状況なのか、イチゴ農家ってことはハウスだろうけど、どうなっているのか、文面からはまったく検討つかず、必要と思われる道具をいろいろ準備して、出発の日を待ちました。
【往路:東北道】
まず、わたくし、東北道を走るのも初めてですし、深夜バスに乗るのも初めての経験。深夜バスといっても、豪華サルーンで3列ゆったりサイズ☆、とかじゃなく、補助席付き4列、リクライニングは気持ち程度の普通のきれいな観光バス。ボランティアさんたちの交通費を浮かすため経済的なバスになったんでしょうな、トイレもないシンプル設計。


実家に帰るときは新宿から高速バスに乗ることが多いのですが、だいたいアサヒスーパードライ1本飲んでこてっと眠りに落ち、山梨県内のサービスエリアの休憩タイムに丁度良く目覚め・・・って感じで高速バス慣れしている私ですが、深夜バスがあれほど眠れないものだとは思いませんでした。反対車線を走るトラックのライトが視界に入って、身体が緊張してるのか、池袋で買ったスーパードライもまったく効き目がなくまったく眠れず、眠ったような眠れないような。。トイレ休憩は羽生と国見で。国見には午前3時から午前6時まで駐車しておりまして、車中で仮眠、出入りは自由。


国見SAは24時間営業で、A4判の思い出ノートというのがあり、通りかかった旅人とSA支配人のココロの交流が記されています。3月9日には女子高校生が「卒業を控え、高校の同級生たちとTDLに行ってきました。すっごく楽しかったです!」支配人からは「よろしかったですね!また立ち寄ってください」。そして次が3月12日の日付、自衛隊の人の「スープおいしかったです」、他県の警察の人が「無料のスープ、あたたまりました」という走り書きが。支配人からの返事の書き込みが「お互い頑張りましょう」。この日付から今日まで「大阪からきました」「三重からきました」「親戚が死んでいましたので葬式に行くところです」という書き込みが続く。しばらく読みふけってしまったけれど、やっぱり私、くるのが遅かったな・・・とも。



【亘理町】
亘理町は、宮崎県南部で、宮崎の湘南と呼ばれている穏やかな気候の美しい海のある町。イチゴの生産が盛んで年間40億円近い扱い高があるそうな。その亘理の町も、津波で大きな被害に遭い、いちごの生産農家450軒の全てが、津波で被災し、唯一70軒の農家だけが生き残ったということ。生き残ったとはいえ、その農地も津波がなめていき、波がひいたあとは、ヘドロが残り塩害も。このヘドロの除去と塩害整地を今秋までに完了させないことには、亘理町のイチゴの収穫が全滅になってしまうため、今回、JA亘理の呼びかけにより、私たちがお手伝いすることになったというわけです。



作業した地域はこちらのgoogle 航空写真をご覧いただけますでしょうか?
このあたりでは常磐道が防波堤となり、大きな津波の被害は常磐道まで、常磐道から山側は床上浸水の被害が。現地の方の話によると、常磐道から海側はまったく違う景色になっているようで、津波の大きな爪痕がいまでも残っているとのこと。
「作業した場所」のちかくに用水路がありますが、ここまで津波の余波の海水が達したようです。この「用水路」周辺の田んぼは表面がひび割れており、なにかと思ったら、3月11日のヘドロが乾いて固まったもの。航空写真を見ると、田んぼでもなく家でもない濃い緑がありますが、これが竹やぶだったり、小さな雑木林だったりしますが、このへんの竹やぶはすべて茶色に枯れていました。竹は根を張る植物ですが、その根の上を海水がなめていけば、一発で枯れてしまうのです。それぞれの家は、浸水のあともなく泥の除去も終わり綺麗になっていましたが、その周辺に茶色い竹やぶを見ればそこまで浸水したのだとわかります。今、こうやって地図を眺めてみても、海からずいぶんと距離があるのに!!


ヘドロが乾いてひび割れた水田にはザリガニの死体がたくさんある。
「冬眠してたところ、海水浴びて死んじゃったんですよね」
「川の生き物は全滅しちゃってねぇ」。
新緑の季節だというのに、なんとなく茶色い晩秋のような風景。目を閉じて耳を澄ませばカッコウやトビの鳴き声がいつもと同じ春を告げているのに。



【農地での作業】
バス座席で並んだ4人が一組になり、それぞれのイチゴハウスに分かれ、ヘドロを手で取り除いていくわけです。ヘドロはすでに乾いおり、変な匂いはもうしません。厚さはだいたい8~10cm。その層は、水が行き来したあとを物語っている。ちょっとした屋根瓦くらいの大きさの塊になっているものを手で取って集め、一輪車でハウスの外へ運び出す。イチゴの苗は実をつけたまま塩水で枯れてしまっているけれど、その苗の上にも泥が。
ハウスに入った当初は、イチゴってあまり高く畝を盛り上げずに作るのね、と思っていたけれど、畝と畝の間の人が歩くところの泥を取り除くと結構な高さに。それだけ泥が厚く積もっていたということです。断面図はこんな感じ。


泥と埃が気になったので以下のように完全防備して作業しました。
198円の作業用グラスが大変役に立ちましてよ。



一緒に行った人たちは、地震の翌週から今日まで毎週被災地支援に行っている人2人と、私を含む今回ボラ初めての人2人。その2人の荷物がもー支援なれしているというか、野外フェス&山ガール風ファッションとでもいいましょうか、大変スキのないボランティアファッションで、いたく真似したく候。そうか、コロンビアの釣り用の長靴は中にステンレスの中敷き入れれば結構使えるのか、とか。







【オーナーさんとの話】
このハウスのオーナーさんと休憩時間のたびに震災の様子を少しずつ話してもらった。


・地震の日は、まさか津波がここまでくるとは思わなかった
・波がくる間、民家の中で脚立に登って耐えていたが、水が引いたタイミングを見計らって床に降りたら、腰までずぶ濡れに。その後しばらく歩いて自宅にたどり着いたが、ガタガタ震えて服が脱げなかった。低体温症は恐ろしい。
・震災後2週間電気が届かなかった。日があるうちにご飯食べて寝る生活。
・ガソリンが手に入るまでが一番しんどかった。
・母屋は無傷だし、畑もハウスも残ってるので、まだマシだ。
・地震だけなら大した被害なかったんだけど、津波がねぇ(福島第一原発から70kmの町ですが、原発のことは一度も話題に昇りませんでした)


たとえば、今、福島で放射能の影響で作付けができないという話をあちこちで聞きますが、それって、たとえば、ウェブデザイナーにとってみたら、「仕事がない」とか「ギャラ削られた」とかそういうレベルの話じゃなく、インターネットが向こう一年停止してます、みたいな状況なんだよなぁ、と作業しながら考えてた。枯れたいちごの苗を見て、殺処分しなくてはならなかった家畜のことや、故郷を後にせざるをえなかった方たちのことを思うと切なくて悲しくて。


・・・とはいえ、作業の間は、んもーえらい集中力でわしわしわしと作業作業、ある程度のところまで作業やらないと、格好がつかないぞ、とその日初めて顔合わせた人たちとわしわしわしと作業作業。瓦礫撤去とかの仕事を担当したら、いちいち物思いにふけってしまって役に立たなかったかもしれなかったです。農地の整地作業は、土ばかりいじって地味な仕事だけど、この秋からまた新しい生産シーズンに入れるという希望が前提になっていて、やっていて気持ちが明るく保てたのもありがたかった。



【まとめ】
この日の様子は、NHKのニュースでも報道されました。以下、全文引用いたします。


イチゴ産地 津波の泥除去作業
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20110521/t10013027411000.html
イチゴの産地の宮城県亘理町で、津波で倒壊せずに残った農業用ハウスの中に流れ込んだ泥などを取り除く作業が行われ、東京から訪れたボランティアが汗を流しました。
イチゴの栽培が盛んな宮城県亘理町では、津波でおよそ250の農家のハウスが被害を受けましたが、このうち、60余りの農家では、中に流れ込んだ泥や塩分などを取り除けば、ことし11月以降の収穫が可能だとみられています。このため、東京のボランティア団体の呼びかけでイチゴ農家の復旧を手伝うことになり、21日、45人が現地を訪れました。参加者は10のグループに分かれ、汗を流しながら乾燥して固まった泥を取り除く作業などに追われていました。29歳のボランティアの男性は、「ふだんはこうした作業をしないので大変ですが、また、ここに来て役に立ちたい」と話していました。これに対し、イチゴ農家の一人は「とてもありがたい。できれば、また来てもらいたい」と話していました。


GW以降、ボランティアの数がものすごく減ってしまっているようです。私がちょくちょく覗いている「ふんばろう東日本」さんのサイトでも、被災地での聞き取り範囲が広がり、先週頭には220箇所の避難所情報が掲載されていましたが、今日5月22日には311箇所にふくれあがっています。信じられないことに「お盆までに仮設住宅つくるね☆」「えー?原発事故の議事録?取ってるわけないじゃーん☆」などとぬかしてるボンクラ内閣のもと、まだまだ急性な状況に置かれている避難所がたくさんあるのです。自衛隊とか地元消防団とか民間企業・団体の善意でなんとかぎりぎり保たれてる状況にあるに過ぎないのですわ。。なんたること!


弾丸バスツアーのボランティアは結構出ているので、体力に自信のある方はぜひ。今回参加した東日本大震災支援の会でも農業支援ツアーも引き続き募集中のようです。よろしくどうぞー。
こんなこともなければ行くこともなかった宮城県亘理町、これからもちょっとずつ見守っていきたいと思います。

2 COMMENTS

mine

ボランティアご苦労様でした。
うちの妹も先週日帰りで、宮城県山元町まで民家の泥の撤去作業に行ってました。体育会系の妹だけど、かなりハードで翌日は全身筋肉痛だったそうです。
イチゴが無事収穫できるといいですね。。。

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スガ

妹さんも行かれましたか。
本当は民家の瓦礫撤去に行く予定だったのですが、人員が集まりすぎて、農協の方に声をかけたら、そんじゃー農地整備やってもらっていいですか?、というのが亘理町まで行った経緯です。
塩害の程度が低ければ今年の秋にでも・・・ということらしいです。私も祈ってます。

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