生前は母がお世話になりまして/日曜日は四十九日でした

9月3日が母の四十九日になるのですが、お寺の都合で前倒しで執り行いました。しかし相変わらず実感がわかない、やはり看取ってないからかしら。

体力的にも健康面でも一人暮らしができなくなってしまった父親をどうするか、グループホームに入れるか、娘達の家を転々としてもらうかどうするかなどと話し合いをしつつも、姉の家にしばらく身を寄せていた父ですが、体調を崩し、というか、うっかりするとそのまま死んでしまいかねないほどの状態に陥り、金曜の午後に急遽入院。もともと四十九日のために帰省する予定でいましたが、PCたたんで慌てて長野行きの高速バスに飛び乗る。

6月に入院した折には「不穏」症状をばりばりと見せつけ「不適応患者」と烙印を押された病院に、姉の車で再入院することになった父親。「夜、あばれそうですねー、前回も暴れましたし」とチラチラこちらを見つめる看護師さんたち、はいはい、わたくし付き添いいたします。病院近くのしまむらに行ってパジャマにもなりそうな部屋着を買って籠城開始。

途中、カウンセラー(?)の女性が入ってきて「今後お父様はどんな施設に入れるのをご希望されますか」とヒアリング。若いお嬢ちゃんが世間話に来た印象でしたので、親戚の看護師に「あれは一体どういうサービスなの?」と質問してみたら「その会話一件で点数つくんだよ、だから置いてるんだよ、うちの病院も点数稼ぎのためにいれてるよ」とのこと。ひぃぃ。レセプトの世界のよくわからん事情!

付き添い寝は14ヶ月ぶり二度目。付き添い用にはサマーベッド。ベッドをぎしぎし言わせながら眠ろうとすると、トイレを探し徘徊する父親の足音で起こされる。絶対安静なのでベッドの脇にポータブルトイレを取り付けられているのに外に出ようとする父。「お父さん、トイレはそこだよ」「どこ?」「ベッドの脇にあるじゃん」「あぁこれか」とやりとりし、父がトイレにまたがるのを確認すると廊下に出てそれが済むのを待つ。そういうルーティンを40分に一度繰り返し、眠る隙がないなーとウトウトしだした朝5時、ハッと気が付くと看護師さんが父の腕を掴んで病室に入ってきている。「お父さん、トイレ探して別の棟の中を歩いてたんですよー、あ、寝ててください、寝ててください。もうシフト入れ替わってるんで大丈夫ですよ」と上から声をかけられる。「あ、そうですかーすみまs」、その後は朝の10時まで爆睡。その間、私の頭の上を父のポータブルトイレのバケツが何度となく行き交ったようですが、もういい、睡魔には勝てないし勝つ気もないよ。6月の入院のときほどの不穏は出てこなかったし、夜には姉も病院に来ることになっていたので、わたしも一度実家に帰ることにした。思えば6月のときの不穏は、お母さんの面倒は誰がみるんだという思いがそうさせていたのかもしれません。もう夫婦愛ってさっぱりわからない。

実家に帰る途中、実家の鍵を自分が持っていないことに気がつく。だって帰れば必ず誰かがいる場所だったんだもの。誰かが鍵をあけて待っていてくれてる場所だったんですもの。鍵なんて持ってないよ。という話を姉にメールしたら「ごめん!お風呂の窓の鍵閉めてないと思う!そこから入って!」という返事が。ここでスガ句。

 姉ちゃんの防犯意識はザルのよう

お風呂に回ってみたら確かに開いてた。小さな窓なのにうまいところにうまく柱があったりしてするりと家の中に入れた。この年になるまで、誰も待っていない実家に帰ったのが初めてだった。あぁお母さんもいない。四十九日の前なのに父親もいない。すべての窓を開け放して空気を入れ替えて、線香つけてソファでウトウトしている間に夕方になり、病人食ではない老人食でもないおつまみレベルの夕飯を作り、ビール飲んでたら「お父さん、大丈夫そうだったから付き添いいいってさ」と姉が帰ってきた。「あんたと二人っきりにこの家にいるのって初めてよね」「そうね」とちょっと話してからまた缶ビールを開けて早めに寝る。そして朝4時に起きて四十九日法要の準備を始めるも、「ごめん、ねえちゃん、わたし眠気が辛くて吐きそう」といってリタイヤ。姉も「だよねぇ」と続けてリタイヤ。朝7時に改めて起きて法要の準備。

日本家屋ってのはよくできてますのと感心しながらリビングの家具をどけてふすまを外して広いスペースを作っていると、親戚が続々とやってきて、最高級プリウスに乗った和尚さんもやってきて、法要開始。父親も病院から外出許可をもらって酸素を背負って帰ってきていた。しかし病院で鎮静剤を盛られていたらしく、なかなか目が覚めない。父にしてみれば、この四十九日法要を無事済ませたい思いでこの一ヶ月を過ごしてきたはず。かわいそうだったけど、隣の部屋にソファを移してそこに横になってもらい、読経を聞いてもらってた。納骨の際には、私が家のなかに父の付き添いのため居残り。足の悪い母の姉も居残り。二人の間をくるくる移動して間をもたせているうちに、納骨が終わった人々が帰ってきた。

スマホの中に数カ月前まで元気だった頃の母親の写真や動画が残ってるんだけど、もう家の中に遺影と位牌しか残ってないの。あの人はどこにいってしまったのでしょう。

5 COMMENTS

いち

スガヤン、お疲れ様でした。
いろいろ大変でしたね。

こういうときの疲れや感情の波は
あとからくるから、体調に気をつけて。

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ukasuga

ねーどうなるのかしらー。ひとまず垢すりエステに行きたいっす、あたくし・・・

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asoyoko

お疲れの出ませんように…(って、こればかり言っていて芸の無いわたくし)。
垢すりエステ、ラクーアのお風呂内にもありましたよ。別フロア全体を使った休憩スペースも心地よく、もしなんでしたらすがさんに、わが身をじっくり癒してもらいたい。

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いち

一皮どころか二皮くらい剥いてもらってくれば?
気のせいか、皮がむけると元気になる気がする。
生まれ変わった気持ちになるからかしら。

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ukasuga

人にモミモミされたい・・・・・猫ではなく・・・だれか・・・・人間に・・・。そしてアカスリもしちゃってほしい・・・神楽坂 垢すり で検索すると「そういうサービスじゃなーい!」といったものしか出てこないので、別の街に行かなくては・・・・
今日の気分はそんな感じですね☆ 

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