エミリー・ウングワレー展 アボリジニが生んだ天才画家


だからハガキサイズじゃ全然伝わらなくて
夕方、仕事を終わらせてから、最終日の『エミリー・ウングワレー展 アボリジニが生んだ天才画家』に駆け込む。
すごかった。
家におきたい!と思うものがたくさんあった。
だけどあの原寸でなければ意味がないのだと悟らされた。
エミリーは、バティック染めを経験してから、アクリルという素材を得て、点描で絵を描くようになります。アボリジニのアボリジニたる由縁の物語を描いたものの上に点描でその秘密を覆い隠していく、遠くから見るとその秘密が垣間見え、近くで見ると思ったよりも多くの色で点描が重ねられているのに気がつきます。彼女が絵を描くようになったのは、七十代後半になってから。そして死ぬまでの間に3000とも4000とも言われる作品を残して86歳で亡くなります。死ぬ2週間前に、彼女はこれまでの描き方とまったく違った新しい手法で描き出すことを思いつきます。それは大胆な面でキャンバスを埋めていくという描き方で、「ラストシリーズ」と呼ばれています。それまでのオーストラリアの大地を思わせる躍動的な作品とは違って、穏やかでやさしい光に満ちた、彼女の故郷、そして彼女がこれから旅立つであろう地を描いているように私には思えました。
エミリーは、十代後半から五十代くらいまで白豪主義のもと、奴隷として生活しています。その後、オーストラリア政府の教育政策だかなんだかの一環として、バティック染めの技術を教えられます。それが無ければエミリー・ウングワレーという天才画家が世に生まれることもなかったわけですが、なんだか皮肉なことに思えます。
しかし、圧巻の展示量でした。とにかく大きな絵が多いの。以前見たフェルメールの、当時好景気に沸いたオランダの庶民の家にも1枚の絵を!という手ごろなサイズがこまごまと展示されていたときとは全然違って、ドカーン!とかガツーン!とかそんなサイズの作品ばかり。一番最初の黄色と黒のエミューを描いたバティックと、赤と黒と黄色の泡立つ光のようなバティック、あれほしかったなー。ビッグ・ヤム・ドリーミングもよかった。でも、幅8mの絵はうちには置けないしね。
あぁ見に行ってよかったーほんとによかった。国際的な展示ができる美術館の近くに住むって、なかなかラッキーなことなのかもしれないね。次は、上野で若冲と芦雪だ!
ヒグマ更新。
【今日のキャプ道】
キャプションって短ければ短いほどいいんだね。
ヒグマの猫離れした顔の写真がほしいなぁー。

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