葉隠れの精神-武士道は死ぬことと見つけたり


はー寒ー。
朝、ベッドの中でラジオを聴いていたら、若い女の子が「日本の武士は『死ぬことと見つけたり』っていって、死ぬことでなにかを解決しようとしたりするじゃないですかー」と言っていたので、いやそれはあまりにもその一面しか見てないのではないかとツッコミたくなりむくむく起き出した。
前にも書いたけど、もう一回引用しておきます。
浅田次郎の「五郎治殿御始末」の結末近くにある一文です。
武家の道徳の第一は、おのれを語らざることであった。軍人であり、行政官でもあった彼らは、無視無欲であることを士道の第一と心得ていた。翻せば、それは自己の存在そのものに対する懐疑である。無私である私の存在に懐疑し続ける者、それが武士であった。
武士道は死ぬことと見つけたりとする葉隠の精神は、実はこの自己不在の懐疑についての端的な解説なのだが、あまりに単純かつ象徴的すぎて、後世に多くの誤解をもたらした。
社会を庇護する軍人も、社会を造り斉(ととの)える施政者も、無私無欲でなければならぬのは当然の理(ことわり)である。神になりかわってそれらの尊い務めをなす者は、おのれの身命を惜しんではならぬということこそ、すなわち武士道であった。
「五郎治殿御始末」より

私はこの一説を読んで、なるほどーとものすごく納得しましたが、どうでしょうか。説得力あるなーと思ったものです。

カサイさんとCrea due cat(no 2)を見て猫談義。表紙のはっちゃん、ほんとうに愛くるしい・・。私は、ピンク色の鼻で、その周囲が白い毛の猫を見るとムラムラするのですが(さらに興奮してそのピンク色の部位が赤くなったりしたらもう・・・イキかけます)、その話をカサイさんにしたらちょっとションボリスタになったように見えたので、「ヒグマのジバンシーのマークみたいな鼻もすごく好きだよ!ほんとうだよ!」とお伝え申した。
ジバンシーのマークってこんなの(マークっていうな!)。
猫談義中カサイさんの口の悪さが随所で炸裂しておりましたが、それはまぁ秘密に。しかし、ウェブサイトヒグマニアってサービス精神皆無ですなー、だからといっていまからなにかするってわけじゃありませんが。

新緑の季節に南津軽の錦水に泊まりに行きたい・・・・。あぁ行きたい。
リンク先のサイトの写真は、この旅館の良さが微塵も感じられないひどいものですが(ごめんなさい、でも本当にひどいんですもの)、こういう青森の中でも特別奥まった静かな場所にある旅館には、長編時代小説と好きなお酒を持ち込んで連泊するのがよいですなー。うむうむ。

2 COMMENTS

くる

カサイさんの悪口が炸裂したのはどこらあたりかしらんと想像しながらクレアを見ました。
なぜに猫に服を着せる?と思うところもあり、いやに厚い紙を使っているな、この本はと思ってみたり。
ヒグマさんのページの写真は、いつものヒグマさんよりちょっと緊張ぎみでしたね。
キャプションはユルイ。
ヒグマニアのきりっとしたキャプション、好きです。

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スガ

カサイさんはなかなか一見さんには悪口を炸裂してくれませんので、あの雑誌ではそれは皆無でしたね。
あのページは全般プロのライターさんがお書きになったものですし、撮影もプロのカメラマンさんが行ったものですので。。
ともあれ、メジャー猫誌でデビューできてよかったですわ。

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