本日のJMMから

[JMM605Sa]「首都の教育改革に猛進したミッシェル・ルーの無念とは?」from911/USAレポート
 私はこのルー氏の改革のことを考えると、どうしても日本の教育のことを考えないわけには行きません。というのも、日本の状況はアメリカの現状よりももっと厳しい面があるからです。それはたぶん、以下の五点に整理できると思います。
(1)アメリカの教育問題は、貧困層対策と中間層の底上げに優先順位を絞ればいいが、日本の場合は貧困層向けの教育の崩壊度合いもひどければ、エリート教育がそもそも存在しない一方で、中間層のレベル低下も起きており、改革しなくてはならない範囲が広すぎる。
(2)日本の場合は、全体として子どもが嫌がる反復訓練について、自発性を動機づける教育技術が全く確立しておらず、家庭での動機づけ機能が失われると救いようがない。その一方で、高校までの段階では機械的な設問への正答探しという狭い技能教育しか行われておらず、抽象概念の操作や相互性のある議論の訓練がほとんど行われないなど、そもそも親や教師が次世代に「モノを教える文化」の根っこが崩れている。
(3)短く微温的な文章の無意味な分析ばかりで大冊の読書や厳格なエッセイ執筆訓練がオプションになっている国語、翻訳法の痕跡の濃い誤ったメソッドの続く英語、15歳の晩春に「自分は私立文系」と決めた途端に「完全に降りる」ことを許す無責任な数学カリキュラム、理社科に関しては最先端や同時代性とは程遠い一方で、裁判員や納税者予備軍としての社会人教育も存在しないなど、全般的にカリキュラムが無効化している。
(4)そもそも「ホンモノの受験教育」は塾に任せて小中高は形骸化し、「ホンモノの実学」は企業内教育が担うとして大学教育に社会が期待しないという二重のムダがあり、その企業内教育も国際水準には全く遅れているばかりか、コスト的にできなくなりつつあるという「国としての人材育成のフレーム」が完全に壊れている現状。
(5)教員組合だけでなく、制服業者から紙の教科書業者までアメリカとは比較にならないほどの裾野の広い既得権益の存在。能力主義による改革を叫ぶ層が、実は「歴史認識で戦後国際社会に敵対するイデオロギー」のグループであることが多く世論の中核とは距離がある。その結果として、硬直化した組合へ改革を促す動きが大きな流れにならないという政治的貧困。

※ネットで読めるのは来週になってから。 
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