ぼくたちは老後の心配をしすぎなのかもしれない/あれば便利はなくても平気というけれど

「介護&老後&備えるおカネ」大全2014 (日経BPムック)

「ザイオンライン」で掲載されてる橘玲さんの「橘玲×ZAi ONLINE海外投資の歩き方」にこんな記事が載ってました。

【日本人は中国に対して、あまりにもネガティブになりすぎているのではないだろうか】

2005年、チャイニーズドリームを夢見て日本を飛び出した事業家の荒木尊史氏、冷え込む日中関係についてもっと冷静になろう、という趣旨のふるまいよしこさん風味のテキストかと思って読みすすめていったら、ば、彼のメンターである邱永漢氏とのやりとりが掲載されていた。

荒木氏が邱永漢さんに「日本の年金は将来、破錠するのでしょうか?」と質問してみた。
返事をしない邱さん、もしもし邱さんどうしたの、もう一回大きな声で聞いてみた。
そしたら邱さん、えっらい剣幕でこう怒鳴ったそうだ。

「君みたいな若い人が、今から年金の心配なんかしてどうするの! そんなことより、どうやったら今日より明日の生活が豊かになるのか、お金が儲けられるのか、そっちのほうを真剣に考えなさい!」

ガガーン!!! あたいも、あたいも、老後の心配ばっかりしてた気がするのー! 目が覚めたようなー!!

先日、友だちとお酒飲んでて「月にならすと毎月●円積み立ててることになる」という話をしたら、「マンション買えるじゃん! お金ためてる場合?(意訳)」と返された。ガーン。一昨年、ちょっと色気出して保険に入ったけど、その受取る年まで生きてるかどうかわからんじゃん、とかもいろいろ。ガーン!

心配事の9割は起こらない: 減らす、手放す、忘れる「禅の教え」 (単行本)

こういうこと? こういうことなの!? くるかどうかもわからない未来よりも、明日の私、来月の私、来年の私のあるべき姿を追ってもいいということなのねー! なのねー!

くるかどうかもわからない未来というと、私は、山下和美さんの「不思議な少年」に収録されていた「タマラとドミトリ」という話をいつも思い出してしまう。森のなかでひっそりと暮らす一族として絶滅寸前の「ララ族」。一族の地を残すため、14歳のタマラは中年のドミトリと結婚するハメになる。タマラは何度もその暮らしから逃げ出そうとするが、いつも結局村へと戻ってしまう。月日を経ても子供はできず、ドミトリも年老いていく。年齢を重ねたタマラは優しくドミトリを看取る。物語の最後、村へ荷物を運んでくれる郵便飛行のおじさんが「オレも今日が最後のフライトだよ」と挨拶を残していく。ララ族最後の人となったタマラは、静かにその生を一人で閉じてゆく。

この本が出たのが2002年だけど、2030年から2040年にかけて日本中の限界集落で起きる話を描いたんだなーと当時読んで思った。老朽化した橋やトンネルもそのままになって、移動手段が限られてよその地域へ行くこともままならなくなってしまう。それで山の中腹の桐の木を指さして「あそこまで人が住んでいたんだよ」と二足歩行ロボットに乗った人間が茄子の収穫をするのよ、そうよそうよそうき決まってるわ! 私もララ族になるんかなー、なっちゃうんだろうなー。

それで表題の「あれば便利はなくても平気」ですが、サラダスピナーを買うとき、この考えが長い時間、購入を妨げていたのにいま気が付きました。手でなんとかできるのではないかしら、ざるでの水切りとそう変わらないんじゃないかしら、と思っていました。実際に買ってみたら「超便利!なんで早く買わなかったんだろう!」てなもんなのですが。

「だいたい、ウカやんは『あれば便利はなくても平気』とかいいながら、似たようなサイズの似たような形状のバッグをいくつ持ってるのよ」「・・・・いつつ・・・・」などという会話を友人らとしたのは内緒です。

お金に頼らずかしこく生きる 買わない習慣

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