仙台災害支援ボランティアセンターに行ってきました


仙石線松島海岸駅で。石巻マンガ列車。

7月13日から15日まで、仕事を手伝ってもらっているW邊さんと仙台へ行ってきました。三連休はボランティア活動に参加する人も多かろうということで、その直前に行くことにしました。ふたりとも車を持ってないので現地まで公共交通機関で行けて、且つ、平日でも初心者が参加でき、体力に自信がない人間もお手伝いできるところを調べたら、仙台市災害ボランティアセンターが該当したのでここへ行くことに。ホテルに泊まるようなヘタレボラですみません。



【13日】
移動日。夜に仙台入り。新幹線の始発でもボランティアセンターへの集合時間に間に合うようだけど、せっかく行くのならゆっくり見てまわろうということで2泊3日のコースに。


友人のH林さんにガイガーカウンターを借りて持っていった。この機械の数値がどれくらい正確なのかちょっとわからないんだけど、郡山・福島はやはり高く、仙台・東京は同じような数値。風向きって・・・。SPEEDIの情報をなぜ開示しなかったのかと、軽く憤りが。


ビジネスホテルはどこも満室らしく人が多く、震災から4ヶ月、目に見える範囲では仙台は完全に通常営業に戻ったのかな、という印象。「うち一軒で宮城の味覚が全部味わえます!」という看板にひかれ入った居酒屋が、店の内装こそ楽しけれ、なんつーかメニューが大学生の模擬店みたいな普通さで、あらららら。女性店員さんのつけまつげが舞台女優さんでもつけないレベルの高密度なもので、つい見惚れてしまった。それじゃ視界が狭かろうー。


【14日】


・仙台VCの作法


仙台市災害ボランティアセンター(以下VC)は仙石線小鶴新田駅から徒歩5分。総合運動場みたいな場所の真ん中にある体育館が拠点となってます。そう、仙石線、仙台駅の大幅リニューアルに驚きまして、今、仙石線って地下鉄なの!? 古くて素朴な地上の路線じゃないの!? ひえええー、私が三陸海岸の旅をしたのって何年前よぅー!!、と記憶をたどったりした。


事前にVCに問い合わせ、午前8時45分までに集合したほうがよいらしいということでその時間ちょうどに現地に到着。私たちは長靴ぶら下げて行きましたが、ラフな格好の人・重装備な人などいろいろ。まずは新規受付の列に並び、名前、住所、電話番号、緊急連絡先、血液型を記入。その後、「仙台社会福祉協議会」の名前が入ったシールを手渡され、自分の名前を記入、左胸に貼り名札がわりに。


次に、12人×15列くらいに整然とならんだパイプ椅子に先着順に座っていきます。全員が座りつつあるところで、社会福祉協議会のビブスをつけた女性が登場。ボランティアの心得、注意事項、本日の活動内容をざっくりと説明、その後、ボラ活動とボランティアのマッチングが開始。終わった時点で気がついたのですが、軽微な作業からヘヴィな肉体労働へマッチングが進みます。たとえば、「VCに残って、ボランティアさんの活動を支援するボランティア、午前10時から午後3時半ころまで、道具の掃除など行っていただきます」「電気・ガス・水道・トイレがある個人宅で、写真洗浄のボランティア、午前10時~午後2時半までの活動です、経験者希望とのことです。6名募集します」というように。その日の募集内容の全案件を事前に詳しく説明されるわけではないので、自分の体力や技能的に一番適している案件を選べるわけではありません。「なんとなく、ここらへんが妥当なのかな?」とおそるおそる手をあげることになります。なので、「ここらへんかな?いやちょっと違うかな」と逡巡して手をあげそびれたかよわい女性が、瓦礫撤去に出向くことになったり、フル装備の屈強な男性が誰も挙手しないから写真洗浄の作業に出向いたり、ちょっとちぐはぐな結果になってしまうことも。残念。そこはもっとVCの運営局の方も合理的にし切っちゃっていいんじゃないかなー。


マッチングがどんどん進み軽微な作業の募集は終了、重労働系の募集が残ります。パイプ椅子には、やる気満々の作業着姿の様々な年齢の男性たちが「おらおら、俺たちにもっとヘビィな仕事を振りな」とばかりに腕を組んで待ち構えています。なんというか、日本の等身大のリアルエグザイルたち・・・。中には同じ会社から送り出されたと見られる揃いのツナギの人たちもいて、日本ってまだまだ捨てたもんじゃないな、と思いました。


さて、マッチングが終わったら、実作業に。私たちは手をちょっと早く上げすぎて個人宅の写真洗浄のお手伝いにいきました。現地まではVCから配送車が出て、近くの作業地へ行くチームと一緒に移動。



・写真洗浄


行ったのは若林地区の津波の被害にあった荒浜小から約6~7kmほどのところにあるお宅。親戚のアルバムが水に浸かったままでどうしたらいいか悩んでいたが、ボランティアの人たちが綺麗にしてくれるという情報を最近耳にしたので申し込んでみた、とのこと。VCのことってあまり知られてないのかなー。だとしたらもっと周知してあげてー。


チームは女性6名、写真洗浄の経験がある仙台在住の女性2名(この二人がこのチームのリーダー、サブリーダーに)、東京・屋久島からきた友人同志の女性二人、私とW邊さん。リーダーさんが作業手順などいろいろ取り仕切ってくれて作業は順調に進む。アルバムから写真を剥ぐ人、洗って汚れを取る人、乾かす人。津波に遭い、ヘドロにまみれた写真は放っておくとインキがどんどん滲み取れてしまい、やがて真っ白な紙に戻ってしまうので、取れかかっている箇所を手でこすり、きれいな部分を残す。写真の裏側にはヘドロがついているので、指でこすり落としきれいな水で洗浄。実際簡単な仕事ではあるのですが、量も多いし水も大量に使うし、人の人生の一瞬を切り取った写真です、丁寧に洗浄しました。


伺ったお宅は大変気持ちのいいおかあさんとちょっとおちゃめなお父さんのいるおうちで、いろいろなお話を聞かせてもらいました。「あなたたち、お昼ごはん食べるでしょ?」と大きめの炊飯器にお米をいっぱい炊いてくれておにぎり握ってくれたり、あわわわ、私たち全員女ですからお手伝いしますよー、あらそう、じゃそこのトマト切って、あなたはこのゼリーを、きゅうりだしてくれる?、となぜか和気藹々と台所に女が7人。ボランティアなのにお気遣いいただき大変恐縮に思う。この方のお母様という方が、津波で亡くなったというので仏壇で手をあわせさせてもらう。本当に、大変なことが起きたのだと改めて思う。


またおちゃめなお父さんが、「おれが家具を全部補強しておいたから、うちは壊れたものが少なかったんだ」と地震対策のポイントを伝授してくださいました。L字型フックで家具は壁に全部取り付けていたそうです。やっておきましょう、地震対策!!



・スコップ団のM岡さん


時間がきて送迎バスが迎えに来る。おかあさんからお願いされた分はなんとかすべて洗浄することができ、無事に任務が終えられたことにほっとする。VCに戻り、使った道具を返却し、解散。私たちは仙台駅に戻り、今日の宿へ移動、お風呂に入りさっぱりしたところで、スコップ団の松岡さんと合流。


スコップ団さんを知ることになったのは、ある男性のtweetから。香港夏物衣類を買い込んできたあと、夏物はどこで必要としているのじゃろうかと探していたところ飛び込んできたツィート「スコップ団で夏物募集中!」がきっかけ。生理用品を除く170点はふんばろうさん経由で6箇所、残りをスコップ団さんに送りましたが、その窓口になってくれたのがM岡さん。


スコップ団リーダーの平さんはいろいろな伝説があって、田んぼに流れてきてしまったスナメリを海に帰した、震災直後重油をタンクローリー一台分寄付して病院いいっこをなんとか持たせた、遺体に入れるドライアイスを大量に届けた、などなど。なんというか、逆北斗の拳みたいな活躍っぷり。避難生活している人たちを送迎バスに載せて、物資がたくさん置いてある倉庫に案内して、「好きなもの、必要なもの持っていってきなよ」という活動も定期的にしていて、香港夏物はここでさばいてもらったようです。


そんなスコップ団さんの話を聞きながら、「目に焼き付けておきたいと思ってらっしゃるでしょうから」と津波被害の大きかった七ヶ浜まで案内してもらいました。時間は午後6時過ぎで夏の日差しはまだ長く、夕焼けが綺麗だなーなんて思いながら、北上しました。七ヶ浜町の地区へ入ると瓦礫はすでに撤去され、残った家々の基礎を夏草が旺盛に覆っていました。「こんな見晴らしがよくなっちゃって」というM岡さんの声が胸に刺さりました。海から遠いと思われる田んぼに残されたガラスが割れてぐちゃぐちゃになった車、なぎ倒されそのまま流れ着いた大きな松の木など、いろいろが置き去りになったまま。部活帰りの中学生や、会社から帰宅するお父さんたちの車が行き交う時間帯、家には灯りがともり、お母さんが夕方のニュースを聞きながら晩ご飯の準備をし、先に帰った小さい子どもが宿題やっているような時間帯。なのにだれもいない、家のあった場所にはなにもない。ここで暮らしていた人たちは、無事だったのだろうか、今はどうされているのかとそんなことばかり考えてしまう。


帰りには3人でがっつりと焼肉を食べ(さっきまで本当に胸が苦しかったのに、こういうところが人間だわーと思うのだが)、いろいろとおはなしや現地情報を聞かせてもらい、ふむふむと。最後にホテルまで送ってもらって、握手して解散。M岡さん、若いのにしっかりした男前のお嬢さんでしたわ。これからもよろしくお願いいたします。



【15日】
「今日はもうちょっと肉体労働しよう!」と迎えたVCのマッチング時間。ドキドキしながら挙手した「男性8人、女性2人、中学校の掃除」の作業、これはさぞかし体使うことでしょうー、と思って行ったら、閉所する避難所の後片付けで午前中で終わってしまってがっかり。参加された男性は、神戸市役所長田区役所から派遣されてきた人たちや大阪の機械メーカーで有志を募って参加してきた人たちなど様々。関西の方達をたくさん見かけました。「僕、二回目なんです、一度は3月30日に入って・・」という若い男性と話をしましたが、頭が下がります。中学校の掃除とは、避難所として使われていた体育館が閉所するのに伴う作業で、みなさん仮設住宅に移られたと聞きました。「ここに最大400人が暮らしていました」と避難所の支援チームの男性が。またある人は私の胸の名札を見て「ご親族がこちらにいらっしゃるのですか?」と話しかけてきて、「いいえ、私は長野の人間なんで違います」と答えると、「あなたと同じ苗字の大学生がこちらで一ヶ月くらいボランティアしていってくれたんです。すごくいい方だってんでご関係があるのかと思いまして」とのこと。同じ苗字の大学生さん、よい印象を残していってくれてありがとう。彼の名前に恥じないように私もこれからきちんとするよ。


戻ってきたVCで、ボランティアを支援するボランティア活動に参加し、資材の整理や掃除、ガンジス川に集まる主婦のようにして、みんなでたらいを並べ汚れた革手袋や布手袋をなどをごしごしと洗う。毎回180人以上参加しているということでみんなで何枚洗ったことじゃろうか。


終わって小鶴新田駅に戻ったら午後4時過ぎ。来た電車に乗って仙石線松島海岸駅へ。午後5時、ワンコインの日帰り温泉「癒しの湯」に寄って汗を流し、松島海岸をぶらぶら。津波の被害がひどかった地域ですが、「前進松島」を合言葉に復興が進んでいるのを見て感じました。


午後8時新幹線で東京へ。みどりの窓口に人が並び、新幹線はほぼ満席。仙台はすごく人が動いています。郡山駅で新幹線が停まり、「関東で大きめの地震があり停電しました。復旧までしばらくお待ちください」のアナウンスに緊張が走る。10分もしないうちに新幹線が走り出しましたが、満月の夜はなんかこわいよねーとW邊さんと。今後のひとくち支援の会について話しあったりしながら帰りましたとさ。


15日の作業の途中で出会った年配の女性に「仙台は来やすいからみんな来てくれるけど、気仙沼とかはほんとうに大変なの。今度は気仙沼に行って」と言われた。行きます。必ず行きます。

2 COMMENTS

松岡

先日は貴重なお時間頂きありがとうございました。男前…凄く嬉しい褒め言葉(笑)
私も夕日や虹と瓦礫が未だに強烈に胸に残っています。
ひとくちさんの活動は、欲しいものを欲しい方へ贈るシンプルですが実用的で喜ばれる活動だと思います。
私達も助けて頂きました。
ボランティアでも、本当に様々なボランティアがあります。
人間は、なかなか我儘な生き物ですね。
活動をしていると、中でも外でも色々あります。
始まりは純粋にただ、人の為にと思いやって始まった事。
それをずっと続け皆がそう過ごせたらきっと世の中はもっと色々うまく行く様な気がします。
私達は一生続ける覚悟でダンプを買いました。
明日はヘドロの中から赤ちゃんを捜してきます。
また必ずお会いしたいです。
ありがとうございました。

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スガ

「一生続ける覚悟で」、すごいと思います。明日は赤ちゃんが見つかることを祈ります。
今回、ダンプ資金はゲットできませんでしたが(ごめんなさい)、これからも応援していきます。
私もお会いできて嬉しかったです。また近いうちに行きます!

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