コロナショックに寄せて その23/清沢 洌「暗黒日記」

【復刻版】清沢洌「暗黒日記」―戦時中の言論抑圧下でのリベラリストの日記 (響林社文庫)

清沢 洌「暗黒日記」

終戦の日も近いので清沢 洌「暗黒日記」をまたポツポツ読んでる。一日分を読んでいるうちに眠りに誘われる・・・・はずがなく、太平洋戦争集中盤の東京の様子に(いま1943年夏頃の日記を読んでいる)、そこにでてくる政治家、インテリと呼ばれたひとたち、文筆家、実業家たちの名前に歴史の地続き感をまざまざと感じさせられている。

清沢 洌は南安曇郡北穂高村出身。明治40年にアメリカに渡航(当時、安曇野では渡米熱が盛んだったらしい、そうなの、はじめて知った)(ちなみにゴールデンカムイ第一巻は明治38年が舞台)、十代の頃にアメリカに渡り現地で働きながら学び、米国で絶頂となりつつある日本人排斥運動のさなか大正7年に帰国。昭和2年に朝日新聞に入社するも二年後退社に追い込まれ、フリーの言論人となり欧州に渡り旺盛な取材活動や会見を行うなどして活躍。
戦時下では執筆禁止著者としてマークされ、表立った論評は避けるようになる。1942年太平洋戦争開戦直後から「戦争日記」という日記をつけ始める。
1945年5月肺炎のため大東亜中央病院(現在の聖路加病院)にて死去、55歳。吉田茂、石橋湛山という後に首相となった2人を知己にもち、戦後存命であれば政界・言論界で重きをなしたであろう知米派知識人の短い生涯であった*

読んでいると政府や軍のやることのアホさ加減に怒りの炎が立ち上がってしまうので、寝る前に読む本ではないですね。

(1942年)二月二十二日
大東亜戦争は浪花節文化の仇討思想だ。新聞は米を迷利犬とい、英を暗愚魯といい、また宋美玲のワシントン訪問に、あらゆる罵詈的報道をしている。かくすることが戦争完遂のために必要だと考えているのだ。

三月四日
各方面で英米を憤ることを教えている。秋田県の横田町では、チャーチルとルーズベルトの藁人形をつくり、女子供に竹槍で突かせていると、報じている。封建時代の敵討思想だ。そうした思想しかない人が、国民を指導しているのである。

六月二日
昨日、アッツ島の日本軍が玉砕した旨の放送あり。作戦に対する批判がないために、その反省がなく、従って凡ゆる失敗が行われるのだ。(以下略)

六月二十四日
信州の南安曇郡あたりでは、今春犬を全部殺して、その皮を軍に献納した。(中略)これらの中心は翼壮(大政翼賛壮年団)だ。
同じ高田氏のところに壮年団がきて、レコードや本や英米的なものは、全部出せと言った。さすがに「どれどれがいけないのか」と言って、一部を保存した。銅、鉄は仏壇の燈明まで出した。土橋氏のところでは、五百貫も出したとか。いずれも実話である。老人連中は、「行き過ぎだ」と避難するが、どうにも仕方ない。青年団の勢力かくのごとし。とくに信州の青年は、かつて赤化しただけに、その行動は徹底的である。ただ知恵がないだけだ。

信州の青年ーーー! 犬はやめておねがい!
それにしても大政翼賛壮年団って銀河英雄伝説にでてくる「憂国騎士団」のことかな?

とはいえ、1942年くらいですと、戦時下ではありながらも、秘書に軽井沢に行きゴルフなんかやっちゃったりしてるので、このときはまだまだ全然のんきだったのかもしれません。この数年後、東京が焦土になるなんてまだ微塵も感じられない文章です。

七月七日
H・G・ウェルズの The Shape of things to come を読む。ウェルズは満州事変を出発点として、日本と支那は全面的に戦争になる。日本は支那に三度買って、ナポレオンのごとく敗れる。それから日本は一九四〇年に米国と戦争するといった筋書きだ。ウェルズの予言は実によく当たる。日米戦争の勃発も一箇年の相違である。そして、ウエルズは「将来の歴史家は日本が正気であったか、どうかを疑うだろう」と言っている。

そんな日記を毎晩少しずつ読み進めながら、政府から支給された布マスク二枚をじっと見つめているのでございます。お金の使いみち・・・ほかにもあったよねあったよね。

地球国家2106年 (1973年)

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