冬至の日生成効果てふ実感/角幡唯介「そこにある山」 斉藤 賢爾「2049年『お金』消滅」

そこにある山 結婚と冒険について

2049年「お金」消滅-貨幣なき世界の歩き方 (中公新書ラクレ (672))

「そこにある山」は中央公論、「お金消滅」は中公新書ラクレ、同じ日に読み終えた。

角幡唯介「そこにある山 結婚と冒険について」

43歳になった角幡さんの人生と冒険を一旦総決算する思索の本。過去の冒険の振り返りや、マロリーや植村直己の「そこにある山」のくだりなど深く感じ入った。著者はGPSを使ってカナダの極地からツンドラ地帯を抜ける縦断の旅をしましたが(アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極 (集英社学芸単行本))、そのときの旅の手触りの悪さ、極地に心底関わってないことに嫌気が指し、次の旅からはGPSを使わず六分儀で移動するようになります。本文では、米国の著述家ニコラス・G・カーの言葉を借りてアメリカの哲学者、ロバート・タリスの言葉を引用すれば、どれもみな「世界に触れて手を汚し、なんらかの形で世界から蹴り返される」ことを必要するのだと表現しています。

世界に触れて手を汚し、なんらかの形で世界から蹴り返されることを実感するために、角幡さんはいま、いま現在、グリーンランドのシオラパルクで犬ぞりの訓練をしています、そして次の冒険に旅立ちます。

その犬ぞり、漫画や映画で触れるかぎりでは「俺はやるぞ俺はやるぞ」「トホ、トホ、トホー!」な微笑ましいイメージがありますが、実際はそんなものではないそうです。犬の訓練、調教が大変、手に負えないくらい大変。さらに木製の犬ぞりを自作しようってんだからもっと大変。なぜ自らそんな大変な目に遭っていくのか、そしてそんな冒険男子がなぜ結婚し、家庭を持ち、35年ローンを組んでしまい、なのにグリーンランドに残してきた犬のエサ代を捻出するような生活をする羽目になるのか、その答えが「そこにある山」というタイトルに隠されているというわけです。ご興味ある方ぜひー。

斉藤 賢爾「2049年『お金』消滅 貨幣なき世界の歩き方」

「貨幣経済が衰退する可能性は高く、その未来にまったく異なる世界が立ち上がる」

お金なんて野蛮なものがこのあとなくなるかもよ、ていうかなくなってしまえばいい、なくなってしまったあとはこんな社会になるだろう、ていうかなるといいな、なるんじゃないかな、そしてそれはそんなに遠い未来じゃないんじゃないかな、という内容。

「お金消滅」では「ネットで検索すれば漢字も算数の答えもわかる、学校なんてほんとうに必要なのだろうか」と問いかけた小学生に対し、大人たちがよってたかって意見を寄せた炎上事件について触れている。著者は「いやいや、そんなに学校って必要? ほんとうに必要なものは自力で勉強して身につけてくものじゃない? 自分はそうだったけど、学校で学んだことが大事だったっていう大人のほうがやばくない?(意訳)」とまとめている。つまり著者のいうことは、学校という場に限らず、世界に触れて手を汚して得た知識や経験は一生モノだから、そんなに目くじら立てなくてもいいんじゃないのってことなのかと、たまたま二冊の本がつながった。

著者のいうマネーレス社会到来はあと30年後。その時代に角幡さんのような冒険家は存在するのか、あるいは舞台を宇宙に変えた冒険家が登場するのか、しかしそれは冒険なのか、いや、ていうか私はその頃生きているのか、社会保障は、どのくらいインフレが進むのか、いつまで自民党政権なのか、いくらなんでもここまで政治が劣化しなくてもいいんじゃないのか、世襲政治ノーサンキューざます、その時代にも人類は小さいことでマウント取り合っていたりするのか、多少向上するのか、実家のあたりは自治体が残っているのか、黒田硫黄の「茄子」の最終話みたいなことになっているのか、そんな時代にツール・ド・フランスみたいな馬鹿げた自転車レースは存続しているのか、そのときのギアはどんなものになっていいるのか・・・・・でも、いまの30年前が1990年だということを考えれば、そんなに遠い未来ってわけでもないんですけどね。楽しみなような怖いような。

 

ブレードランナー 2049 (字幕版)

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