人生の半分が夜とお酒と嵐でできていたっていいじゃないか / ベンジャミン・バトン 数奇な人生


ZHSSモードですが、公約通り(誰との?)今日は『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』を見てきました。
BIG FISHを見たくなりましたよ。
以下、これから見る人はなるべく読まない方向で。


もともと年齢不詳のケイト・ブランシェットさん、この映画でもティーンエイジャーから老婆まで演じるのですが、ハリウッド仕込みの特殊メイクのすごさもあいまって、本当に年齢不詳になっちゃって、いったい何歳を演じているのかわかりかねる。ブラッド・ピットさんも私の頭の中できっちりと固定イメージがあるものだから(テルマアンドルイーズの頃からあんまり変わってない)、えぇーと今何歳くらいなのかしらと設定を追うのに忙しい。
ベンジャミン・バトンは第一次世界大戦直後に生まれるのだけど、映画の中で、これがいつの出来事がはっきりとは伝えられない。着ている洋服や髪型、タクシーや自動車の形、湖から見上げるアポロの打ち上げ、テレビの中で歌っているビートルズなんかで時代が変わっているんだなーとはわかるんだけど、ここで1950年とか1962年とか、もっとはっきりと画面に差し挟まれていたら、この2時間半に及ぶ長い物語の時系列を一緒に味わうことができたのに。
しわくちゃの老人の姿で生まれた赤ん坊ベンジャミンを拾い、自分の子として育てるタラジ・P・ヘンソンさん(アカデミー賞・助演女優賞ノミネート)、彼女の老けていくメイクもすごいわよー、いちいちの動きやしゃべり方の老い方もすばらしい。アメリカと合衆国の特殊メイクはすごかねー。
それはさておき、人生で誰でも何度かは立ち会わなければいけない場面がたくさん出てくる。登場人物たちはそれを静かに受け止めていく、自分より先に生まれた人たちを見送るということを、それも順番にね。
この映画を見終わったときに、身近な人に、それも、しばらく電話してないような身近な人に、もっと具体的にいえば、自分の母親とか父親とか姉ちゃんとか兄ちゃんとか弟とかおばあちゃんとかじいちゃんに、なんとなく電話したくなるようになれば、この映画の使命は果たせたといってもいいんじゃないかなー。
しかしこういう映画が多くの人に受け入れられるってことは、アメリカ人も相当疲れているってことかしらねぇ。いい映画だけど、

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください