黒南風や諸何の事情で帰省せり

去年蒔いた南天が育ってた!

ここのところ母親が体調崩してて、諸々フォローするために帰省してきた。
途端に弱気になった母親が「私が焼き場に入るときは、おばあさんに買ってもらったこの綸子の着物を着させてちょうだい」「帯はもったいないから、帯揚げで締めてくれればいいわよ」などと箪笥をひっくり返しながら言い始める。
たいそうな弱気っぷり。ちょっと厄介な病気で本人は辛くしんどいと思うけれど、適切に治療して安静にしていればまだまだ人生を楽しめるので、あんまり気弱にならないでほしい。ちょっと元気になると「畑が気になる」って出ていくんだもん、ダメ! 農作業!!! 寝ててー!!
そして、そんな母親が娘時代に作ったというレインコート、大変よい生地の綸子の短い羽織、一度しか着る機会のなかったという訪問着、正体不明の単衣の藍の着物をもらってきた。柄はさておき、昔のものなので生地が滅法いい。本当になめらかでやさしい手触りの絹ばかり。背の高い人なのでサイズは概ね問題ないが、これを機に姪っ子にまで譲れるようお直ししておきます。ゑり華さんのウヒヒなお直しキャンペーンももうすぐだし。
「女の一生、よねぇ・・・」などと思いながら、東京へ戻る車内で読んだ水村美苗の「私小説」。父親の仕事の都合で12歳でアメリカに引っ越した作者本人の「私小説」。著者と姉も親の家から独立し、時を経て「謎のドロップアウト・colored・芸術家」となってしまった姉・奈苗と、主人公の美苗が二人でちょっとハイソなレストランでシーザー・サラダをつつくシーンなんて胸がつまるよ。「どうしてこんな干からびたアジアの女になってしまったのだろうか」ってくだり。
列車はやはり遅れた。奈苗は約束通り街角に立っていた。待ちくたびれたせいか、私の乗ったバスがやってくるのには注意を向けず、ぼんやりと眼の前の人の流れに目を向けていた。そこに私が見たのは、おう充分には若くないひとりの東洋人の女であった。黒髪を腰までのばしているのもいかにも東洋人の女らしかった。眩しいのか、顔にこころもち皺をよせて不機嫌そうに街に向かって立っているその姿は、ハルの白い陽射しに照らされて、かえって世の中から切り離されたような寒々しい印象を与えた。何かそこだけ空気の色が違うようであった。
いやぁ・・・・。わかる・・・、たまにみかけるよ、こういう洋行帰りの女性・・・。
この後、二人はレストランでシーザーサラダをつつくことになるのだが、そこで、姉の奈苗は「ポーランド人とバーに行ったら、店を追い出された」という話をする。奈苗は学生時代、ブラインド・デートで韓国人のあんまりハンサムじゃない男の子をあてがわれた経験も持つ、大金持ちの息子だったみたいだけど。アメリカに赴任してきた商社マンなどとデートしてきた輝かしい遍歴もあるのに、今は、干からびたアジアの女として生きている。
 あぁっ!花の命は短くて、今では指輪も回るほど!!! 回るほど-!!!!
この物語はどんな帰結を迎えるのかしらねー。「私小説」→「新聞小説」って流れで読むべきなのよねー。「本格小説」も素晴らしかったわ! 妙齢の女性の夏休みにぜひ!

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