恐慌の証文片し春の雪

人生の終いじたく (青春文庫)

恐慌って、1929年のアメリカの株価大暴落から続く生糸相場暴落の話ね、昭和4年の話ね。

母親が中村メイコの終活本を読んだらしく、いろいろと気がかりなことを元気なうちに片付けたいモードになり、急遽実家に呼び出されました。私の曽祖父という人が生糸相場の暴落でえらいことしたということはちらほら聞いておりましたが、にゃんと、実家の土地だと思っていた一部がとなり町の大地主さんの名義であることを今回初めて聞かされ、「このたび土地代を払い、名義変更することになりました。つきましては、娘や、おとうさん、交渉事が苦手だから一緒について来て☆」というオーダーでございました。ちょっとくらくらしながら、Wikipediaで調べてみたら、生糸相場暴落って1929年の出来事ですよ、いまから85年前の話ですよ!!! 何世代分でございます!?(我が家にとっては4世代) 85年間、地主さんに地代払ってきたのかー・・・知らなかった・・・。

幸い先方も「祖父の時代の話ですから、こうやって整理できるならこちらも願ってもないです」とおっしゃって下さり、早速役所に出向き、評価額を調べ、土地の金額の出し方を教えてもらい、このくらいのラインでイキましょう、私の予算はここまでです、と父親と打ち合わせし、地主さんの家へドライブ。ひぃぃぃ、地主家の苗字がここらへんの地名になってる・・・でかい、お家がでかいよぅ、とビビりながらも伺ってきました。

お家にあがらせてもらい早速本題に。そろそろ九十歳になんなんとする地方の聡明な名士さんといった感じのやさしい年配のご夫婦で、その頃のここらへんの地の政治や産業の話、生糸相場の暴落のときの話、そして戦争、敗戦、その十数年後の農地解放の話など、それらがあってあの地面がいまこのような状況になってるわけですな、と波瀾万丈の昭和史を駆け足で説明してもらいました。うぉぉ、翻弄されてる! 市民たちが、時代に荒々しく翻弄されてる!!! 

農地解放ってそういうことだったのかーなどと感心しながら話を聞いていると、「で、娘さんはいくらで整理したいのかな?」とおっしゃるので、早速、電卓をお借りして「役所からもらった資産表ではこれこれこういう数字が出ましたので、ここの端数をピーッと上に切り上げまして、こちらでいかがでしょうか?」などと交渉を開始。「この端数をピーッと上に切り上げて」とか「切り下げて」という言葉を、クライアント様の前以外で口にする機会がやってくるとは思いもよりませんでした。そしてこういう交渉事をしているときは、中川家の中川礼二の魂が乗り移っているものと思って対応しております。
「いやいや、それではもらいすぎです」「いえいえ、そこはどうぞ長年お世話になっているわけですし」「私もそんなつもりでは」「それではお言葉に甘えまして」と落ち着くところへ落ち着いた。準備していた金額でおさまったので(田舎の土地の話ですから・・)その場で支払い、領収書をいただき、85年の契約も30分の会談で終了。とても貴重な体験をしたと思います。平成も26年になるけど、私の人生は昭和と確実に地続きなんだよな、と改めて感じます。

交渉終了後、さっぱりとした気分で父親の車に乗り込んだら、春の雪が降り出しました。立春の候、なんというか、思いがけずによい日を選んで伺ったのかな、などとも。次は司法書士さんだ!

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