「コルシア書店の仲間たち」で知った須賀敦子。ミラノの街の中の自宅で繰り広げられるなんてことはない夕食のシーンだけ読んでみても、私にとっては夢みたいな豊かな時間に思えて、世の中には1960年代のイタリアでこんな風に暮らした日々を美しく奥行きのあるエッセイに構築できる女性がいるのかとうっとりとした。アメリカで「日本人ですもの、私は日本人なんですもの!」と背筋を伸ばして生きてきた水村美苗さんとはまた違う時間の流れ方で、続きの作品がなにかあれば読んでみたいと思っていました。昨秋、無印良品が旅文庫フェアみたいなものをやっていて、そこでこの本が平積みされていたので購入、今月になってやっと読み始めてみた。 ヴェネツィアのフェニーチェ劇場からオペラアリアが聴こえた夜に亡き父を思い出す表題作、フランスに留学した時に同室だったドイツ人の友人と30年ぶりに再会する「カティアが歩いた道」。人生の途上に現われて、また消えていった人々と織りなした様々なエピソードを美しい名文で綴る、どこか懐かしい物語12篇。
芦屋で生まれ神戸で育った須賀敦子、この本では、イタリア暮らしと子供の頃の思い出が行ったり来たりしていて、描かれている暮らしはまるで谷崎潤一郎の小説に出てくるよう。とかいって読み進めているうちに「この叔母は谷崎潤一郎の小説に出てくるような暮らしをしていて」という一節があり、ぷはっと息を吐いた。いやいや、ちがう、あなたの生まれ持った人生がただただ物語の中の人のようなのに、と。時折ミラノの富豪との交流話が登場し、えぇ、そこではティルダ・スウィントンの「ミラノ、愛に生きる」を頭のなかで再生しながら読み進めたりいたしました。富豪エッセイの金字塔として記憶に留めたい一冊。ミラノの石畳を踏む靴の音さえ聞こえてきそうな、神戸の岡本の蝉しぐれの音も聞こえてきそうな、本当に美しい文章です。うっとりぽん。
はうー、ティルダ・スウィントン、かっけええええー。梵天丸もかくありたいー。
須賀敦子さんはいいよねー。この人、作品仕上げると着物作っていたらしい。その着物、雑誌の写真てみたけど、ものすごーく品が良くて、さすが芦屋のお嬢様とおもいましたよ。
そうなんだ。生前のお話、全然しらないの。これから追ってみる。芦屋のお嬢様だよねぇー、さらっと書かれるエピソードの富豪っぷりがまぶしいっす。
昔、ブログに書いたので再掲。
仕事の前に、誂えていたんだそうです。記憶違いでした~!
http://blog.goo.ne.jp/asochan0930/e/99578a649f69d138f2f2ce6c8f691b19
『仕事というものは、自分と対峙し中身を搾り出さなくてはならず、その過程で心が殺伐としてくる。』
なんですか!この、一行で全てを言い尽くしている的を射た文章は!!
久しぶりに心を打ち抜かれた文章でございます。
・・・それはそうと、須賀敦子さん、うちの臼が一時期エッセイを何冊も読んでました。アタクシはそれを横目に田丸公美子さんに夢中になっておりましたの。
大きい仕事の前にお着物誂え、やってみたい!!
ふなきさん。
そうですか、ウスさんは須賀敦子さんファンでしたか。男性の愛読者を初めて知りました。
仕事で滓になった自分を潤すのは、やはり美しいものですねえ…