白牡丹母の遺産がまだあって/とあるアラ子「美人が婚活してみたら」

生前、母は病床から「うちはお金がない、金がない」とずーっと言っておりました。いやいや確かにお金ないかもしれないけど、父親は厚生年金で母は国民年金の組み合わせ。裕福な人はたくさんいるし上を見たらきりがないけど、家も田畑もある(固定資産税だって微々たるもの)年寄りが暮らすには十分な金額が支給されていて娘達からの仕送りも若干ある、行政の介護は手厚い。「お母さん、自分でいうほど貧乏じゃないよ。もっと大変な人もいるよとは言わないけど、少なくとも私がこれから迎える老後よりははるかに恵まれているよ」と何度も口にしたものです、それがどのくらい伝わっていたかはわかりませんが。

昨年6月に姉と「母が持っている現金ってどのくらいですのん」と調べあげた。その金額は数百万、都会のリッチなサラリーマン家庭の家の子たちからみたら本当に僅かな金額(この金額をAとしておきます)だけど、地方だとしたらちょっとよい有料老人ホームに入れさせることができるくらいの金額です。その金額を母に告げたら、「そんなにあるの?」と驚いた顔をおどけて見せてくれました。でもあの金額の話をしたために、「それだけあればお父さんが一人残ってもなんとかなりそうだし、じゃ、もういいかー」と母親なりになんだかスッキリ納得してしまったようで、その数日後にあの世に一人で旅立ってしまったのです。なにか引き金があったとしたらあれで安心させてしまったことだと今でも思います。

母が亡くなったあと、私達が把握してなかった保険や定期がまだあったことがわかりました。また各種預け金やら組合費などが戻ってきて、合算すると当初の1.5Aに。そうこうしているうちに父が亡くなり、今度は父の残したお金の受取が始まる。父は保険には入ってなかったけれど、これもまた娘達が預かり知らぬ定期にいくつか入っていて(多分母親がこっそり入れておいたものだと思う)、結局なんやかんで父母が残したお金は当初の倍の2Aとなりました。

こんなにお金があるなら(何度もいいますが、都会のリッチな-以下略-)、もっとよい老後生活を送らせることができたのに、もっと楽しい思いをさせてあげることができたのに、と心から悔しく思っています。私達にお金残さなくてよかったのに、自分たちでお金を使い切って豊かな最後を過ごしてもらいたかった。老後にお金を残すことも大事なことですが、うまく使い切って死ぬことはなかなかできない。海外に行った帰り、現地の空港での搭乗直前に、残った小銭を手頃なカフェですべて使い切る、そんな風に人生を終わらせることはなかなかできない。

自分たちも時間やお金を多少犠牲にしてきたが(犠牲という言い方もなんだけど)、これだけの現金があれば母にしてあげられたことはもっとあったのではないか、もっと要望にこたえてあげることもできたのではないか・・。
などとさめざめとしている最中、若手官僚たちが作成した未来への提言資料『経済産業省:不安な個人、立ちすくむ国家 ~モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか~』が転がり込んできた(※この資料P24にもあるけど、うちのママンは「胃ろうなんて絶対しないから」とそこははっきり言ってましたからね、どこかでそういう情報を耳にしていたのでしょうか)。

人生とは、この時代に生きるということは! 生きるということは!

この前、好きな漫画家さんのツイートに背中押されてこの漫画を読んだけど、
美人が婚活してみたら

現実、私が今、読むべきだったのはこっちだったよね、てへ☆ 
これは紙の本で買おう。近いうちに!
マンガ 自営業の老後

その点、猫はいいなぁ。スパイごっこしてるだけで1日が終わるんどすえ。
試験も納税もない♪ いいなー。
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