この原画が見られます。
水木しげるの描くほっこり極彩地獄絵図で心を和ませてから、続く別の展示室の中央にぽつんと往生要集の写本が。「西暦985年(平安時代前半)、僧侶源信が編んだ往生要集により、私達の地獄観が植え付けられたんやでぇ」とずばりな解説が書き添えられている。それを読んだ瞬間、その後の日本国内の宗教観がいかにして生まれたのか、日本各地にいた濃さ薄さ様々な「のんのんばあ」たちが教えてくれた地獄絵DNAのはるかな経緯がすとんと腑に落ちた。地獄でヘレン・ケラーとはこのこと、ウォーター。
大和民族に千年のトラウマを植え付けてくれたそんな地獄の世界を、これでもかこれでもかと見せてくれる展覧会。「あぁーいろいろなことでたっぷりと儲けてこられたんですなぁ」な気配をビンビンと感じる三井のお上品でシックな建物の中で繰り広げられる地獄絵図祭り。
現世で味わう地獄めぐりは別府で済ませたいものと相場が決まっておりますが、室町時代の地獄の表現はトラウマ必至、時代を経るに従い、なんだか楽しい絵柄のものが登場してきて、江戸時代には素朴な絵柄の十王図が登場してきます。葛飾区指定有形文化財の地蔵・十王図なんかは「もう、どうしてこれが歴史に残ったの?」ととっちめたくなるヘタウマ画。いろいろな職業の人にとっての地獄を描いた墨絵もあり、歌舞伎役者の地獄は「だいこん地獄」とか現代人にもわかる小ネタでクスリ。
江戸時代は地獄をおちょくる余裕もあったのですが、明治になると血の色たっぷりの版画や地獄双六が誕生し「地獄ってこわいところなのよ」教育が隆盛に。こういう表現の変化が生まれた背景に思いを馳せますと、明治維新ってのはなかなかエグいものだったのかもしれません。
なんてことを考えながら、子供向きの美術展なのに談話を一切許さない静かで厳かな展示室には行く先々中高年ばかりで、そりゃーちびっこには三井の美術館はちと敷居が高かろうてと思いましたとさ。9月3日まで。急げ急げ。
桂米朝師匠の「地獄八景亡者の戯れ」を聞くと、
地獄って楽しそう~な気持ちになりますよ。