観世九皐会四月定例会/忠度・茶壺・杜若/無賃乗車のことを昔は薩摩守といったものでしたね

お殿様というべき正面席で。鏡板の老松の正中線のど真ん前という素晴らしい席。宝塚だったら、バチコーンとされた瞬間気絶しそうな素晴らしいお席。Wさん、お招きいただきありがとうございました。

参考 みんなもブックマークしてね!矢来能楽堂

能 忠度

かつて藤原俊成に仕えていた僧が西国行脚中、須磨の浦へ立ち寄り不思議な老人にあう。この近くによい宿はありませんかと尋ねると、この桜の木の下ほど素晴らしい宿はない、と答える。ここは文武二道に優れた平忠度の亡骸が眠っている場所なのだと、とのこと、言われた通りに僧は桜の木の下で一夜を明かす。夜になると在りし日の忠則が武者姿で現れる。
和歌の師匠藤原俊成が自分の歌を千載集に選んでくれたのはよいが、いくら政敵だからって詠み人知らずなんて表記にしなくたっていいじゃない、あんなに戦で頑張ったんですよ、こんなふうに頑張ったんですよ?と戦いの様子を再現し、「ほんっと、マジ、俺の回向ちゃんとやってくださいよ! 詠み人知らずの件は定家っちになんとか言っといてね!」と言い残し桜の陰に消えていくのでした・・・・。

その忠度の後シテの武者姿のときにつけられた壮年手前の男性を描いた面が、色白で凛々しくしかし儚げで、元NHKの麿こと登坂さんに似ていて、「うまくいけばあのまま報道局長になれたものをーぐーぬー」という声が聞こえてきそうだった、ていうか聞こえた。

行きくれて木の下かげを宿とせば花や今宵のあるじならまし
さざなみや 志賀の都は 荒れにしを 昔ながらの 山桜かな

平忠度の官名が「薩摩守」だったことから、昔は無賃乗車する人を「薩摩守」といってたよなということを思い出しました。明治時代とか大正時代を舞台にしたなにかの本で読んだことがあります。業平橋駅がとうきょうスカイツリー駅に変わったり、高輪駅でよいものを高輪ゲートウェイ駅にしようとしたり、そういう風雅なものがなくなっていくのはちょっとさみしいね。

狂言 茶壺

田舎者が茶壺を背負って酔いつぶれて道端で眠ってしまった。それを見ていた心良からぬものがその背負っているものをいただこうと試みる。田舎者が目を覚まし道中で喧嘩を始めると、町の役人が見咎め仲裁に入るのだが・・・

シテが山本則俊さん、アドが山本則重さんと山本則秀さん。則俊さんがお父さんで、則重さんがお兄さんで則秀さんが弟さん。一番重要なおどける役どころをお父さんが演じています。ご家族なのでか、息が揃っていてとても面白かった。狂言で最初からフルスロットルであれだけ笑わせてくれたものは経験ないなー。昭和17年生まれの則俊さんの妙技が素晴らしかった。これからもぜひお元気で!

能 杜若

ある旅僧が東国行脚の途中、三河国で沢辺に咲く美しい杜若を眺めていた。一人の女が話しかけてくるので、「ここの地名はなんというのでしょう」と尋ねると、「杜若で有名な八橋です」と答え、伊勢物語にある在原業平の杜若の歌について語り、今夜は私の庵へ止まっていきんしゃいと僧を連れ帰る。
庵に着いたところで女はおもむろに立派な唐衣と冠を取り出す。こんな庵になぜそんな立派なものがと訝しむ僧に対し、女は「私は杜若の精、業平どんによって魂を吹き込まれたようなもの(意訳)」といい、それらを身につけて舞う。そして朝の訪れとともに消え失せてしまったのでした。

こちらは大変に可憐で美しいお面で、キラキラの唐衣ともよく似合っていました。観世喜正先生が後見を務めてらして、喜正先生の後見を初めて拝見しまして、細かく優しい対応をされていました。今回は喜正先生の仕舞も地謡もお目にかかれずちょっと残念でしたが、新しい一面を見られました。6月の終わりに矢来能楽堂で喜正先生主催のワークショップがあるから、そこで美声を堪能しようかなー。

 

喜正先生は、藤田和日郎さんの「双亡亭壊すべし」にも出てくるのよ、えっへん。11巻の40ページです。その話をW嬢にしたら「藤田和日郎って池袋の人でしたよね? 池袋でも能のワークショップ的なことやってるんですけどそこで見られたんですかね」とのこと。ほほぅ。漫画では土蜘蛛のチラシを引用していましたが、土蜘蛛って多分ワークショップ向きなところがないわけでもないし、それがきっかけかもしれないですね。

会場が着物率高く感心しました。矢来能楽堂、こじんまりとしてて門からのアプローチも雰囲気がよい素敵な能楽堂です。トイレが渋滞したら、神楽坂駅矢来口前の旧la kagu 、現アコメヤに行くとよいですよ、歩いて1~2分です。

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