アメリカンセレブとしてのアムンセン/スティーブン・R・バウン「最後のヴァイキング――ローアル・アムンセンの生涯」

 

写真はオスロのフラム号博物館で撮影したアムンセンの南極体験の再現ミニチュア。オスロに行っただけなのに、ローアル・アムンセンおじさんにドハマリしていろいろ評伝を読んでいるところ。

最後のヴァイキング――ローアル・アムンセンの生涯

ご紹介は出版元の国書刊行会のサイトから。
人類初、南極点へ到達した男。20世紀初頭、不可能と思える行動力と強靭な精神力で、最後の秘境に挑み続けた探検家がいた。そして借金地獄、悲恋、失踪…これほど比類なき、力強い人間が存在したことを読者は知る!!

アムンセンの父親は海運業で財を成した人物で、彼は富裕なおぼっちゃん。そのお父さんは早死してしまい、お母さんからは「あなたは医者になるざます!」と大学の医学部に入れさせられるけど、「おれっち、本当は探検家になりたいんだよなー」と兄とその日のために鍛錬を続ける。とかいってたら在学中にお母様も病没し、莫大な遺産と自由を手にしたローアル君、いざいかん冒険の人生へ!! ・・・ここまでが彼の前半生。

1894年 アザラシ漁船に乗り込み、ノルウェー最北端の海へ出る、その後船員として下積み生活を送る。

1895年 23歳、航海士の資格を取る。「船長とリーダーが同じ人間でなければならない」と強い信念をもつようになる。

1896年 兄レオンとノルウェー北西部の高原を横断する冒険へ。あえなく失敗☆ しかし貴重な体験となる。

1897年 ベルギー南極探検隊に参加。アメリカ人医師フレデリック・クックと親しくなる。

1900年 船長の資格を取る。ドイツのノイマイヤー博士のもとで磁気学と磁気観測法を学ぶ。

1902年 船長の免状を取得。ヨーア号の試験航海に。北西航路探検の準備を始める。

1903年 探検の資金作りで多大な借金を作ったアムンセン、借金取りたちから逃げるようにして北西航路遠征へ出発。

1905年 2年の極地越冬の後、イギリスのジョン・フランクリン隊が全滅した北西航路横断航海を達成。ジョン・フランクリンについてはこちらの記事「角幡唯介『アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極』」で。現地ではイヌイットから犬ぞりや毛皮の扱いなどを教わり、次の極地探検へ備える。

1909年 北極へ行くつもりで諸々準備していたけれど、ひょんなことから南極へ。イギリスのスコット隊も同時期南極を目指しているとは聞いていたけれど、それはさておきとっととアラスカ犬約100匹とともに南極へ。


(同じくフラム号博物館のミニチュア、犬よ!)

1911年 12月14日、南極点制覇。誰一人欠けることなく(犬は凍死し、食材となったけれども)ノルウェー隊のキャンプ地まで戻る。その後、このニュースをすっぱ抜かれないよう慎重に移動し、1912年ノルウェーに帰国。帰国後は、第一次世界大戦(1914年~)の影響で、北極海漂流横断計画を断念、ドイツのUボート怖いしね!

1918年 モード号で北東航路航海へ出発、1920年北東航海達成。

1924年 「これからは船じゃない、飛行機だ!」とアメリカ人資産家のエルズワースと飛行艇で北極横断を目論見、スピッツベルゲン島から二機で離陸するも途中で一機が故障、数週間かけて氷原の上に人力で滑走路を切り開き、残る一機に定員オーバーで乗り込みなんとかスピッツベルゲン島へ戻る。行方不明となりもはや死んだものとして思われていた彼らの帰還にノルウェーの民衆は大いに沸く。忘れかけられていた極地探検の英雄アムンセンの復活!

1926年 ドイツ生まれでイタリア政府所属の飛行船「ノルゲ号」で北極横断飛行へ。エルズワースと自分のノルウェー人手下とイタリア軍人チームの乗り合い飛行船で、船内は緊張状態☆ イタリア軍人ノビレは犬は連れてくるわ(犬はかわいい)、自分だけ荷物をたくさん積み込むはやりたい放題! 5月11日、ノルウェーのスヴァールバル諸島のキングズベイから飛び立った飛行船は、14日、アラスカ州テラーの町に着陸し、このミッションも完遂するのであった。

1928年 ノゲレ号以来、イタリアのノビレには、その後も散々煮え湯を飲まされるのだが、そのノビレが乗った飛行船が北極海で行方不明になったという。そのニュースを聞いたアムンセンは、周りに急き立てられるようにして、あるいはなにかを諦めたように(このへん、ちょっとマッキンゼーで行方不明になった植村直己さん的なものを感じた、ほれテレビ局の仕事で・・・)、フランス提供の飛行艇で慌ただしく救助へ向かい、出発後わずかな時間で人々の視界から消え去り行方不明になった。

ローアル・アムンセン、享年56歳、彼の人生という冒険は唐突に終わりを告げたのじゃった。

 

著者のあとがき「資料・文献について」ではこのように書かれている。

アムンセンについての記述は「南極点到達競争」との関係がほとんどで、南極から戻って後の十六年間に触れているのは一行か二行である。しかし、『最後のヴァイキング』では南極後の人生に全体の約半分を割き、アメリカの名士としての日々、黎明期にあった飛行機の実験、北東航路の航海、北極飛行の失敗と成功、そして飛行船による北極点および北極海盆上空飛行などを取り上げている。アムンセンはこの時期にとくにアメリカで最も人気があった。

その南極からの16年の冒険していない期間のほとんどを、彼はアメリカで暮らしていたんざますよ。長身の北欧の渋い顔立ちのイケメンおじさんは、ニューヨークのウォルドーフ・アスタリアホテル(現存)を定宿にして、ていうかこの部屋を住まいにして、アメリカ中で講演してギャラを稼ぎ、セレブなパーチーに呼ばれ、楽しく愉快に暮らしていたんですって。ノルウェーに自宅もあったけれど、ほとんどホテルと船の上で暮らす旅の人。そしてつきあう女性はみな富豪の美人妻! 結婚する気があるのかないのかといったら、おそらくあまりなかったんでしょうな、やるな、北欧の色男。

この本の情報源は、ニューヨーク・タイムズから選んで引用されている。当時最大のニュースソースで膨大な記事をかき集めて、アムンセン像を構築している。イギリスが極地探検を領土拡張のために行ったのに対して、アメリカはそれをスポーツであり民衆を熱中させるエンターテイメントとして認識していたのとはえらい違い。そんな捉えられ方がアムンセンの性とよくあったのか、アメリカでの暮らしは随分居心地よかったもよう。そんなアメリカで、アムンセンは、スポンサーを見つけて資金を獲るというビジネスモデルを切り開きもした。

本では最後にアムンセンの動画まで紹介してくれている。下の動画の2分11秒のところに動いているアムンセンが登場する。1924年の北極横断の映像で、同行したアメリカ人エルズワースも映ってる。ノルウェー人とアメリカ人ってやっぱ違うんだなという顔の違いが見どころ。しかし、アムンセンったら薄毛のイケオジ、誰かの琴線にふれるに違いない。

著者はカナダ人ということもあって、アムンセンが開拓した北西航路に興味をもってアムンセンの本を書き始めるわけですが、子供に安心して読み聞かせたくなる偉人伝という書きぶりではない、資金を集めつつ事業を達成しようとするひとりの男(それも近代人というよりかは、現代人といってもいい感性の男)の物語を読めたのはとても楽しい体験だった。100年前のノルウェー人の冒険に一緒に伴走したみたい。380ページの本で読みでもありました。

このあとも自分の興味が尽きないようだったら、アムンセン自身の著書も読んでみたいと思う。そして次にノルウェーに行く機会があったらフラム号博物館で資料にもう少しじっくりと触れてみたいし、オスロに行くことがないとしても彼らの探検拠点となったトロムソにまで足を運んでみたい(ヘルシンキから直行便が出てるし)、ついでにオーロラにまみれてきたい。チャンスがあればスピッツベルゲン島にも行ってみたい、ウカやんの極地探検だ、アムンセンの時代とは比べ物にならないほどお気軽な。

 

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