北極の俺の航路の白さかな/角幡唯介「アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極」


角幡唯介「アグルーカの行方 129人全員死亡、フランクリン隊が見た北極」

本の紹介はAmazonから。
1845年、英国を出発したフランクリン隊は北極探検中にその姿を消した。ヨーロッパとアジアを結ぶ幻の航路を発見するために出航した一行は、北極の厳しい環境と飢えにより総勢129名が全滅。極寒の地で彼らはどんな光景を目にしたのか。著者は冒険家の荻田と二人、その足跡を辿る旅に出た。三ヶ月以上にわたって北極の荒野を進んだ壮大な探検記。第35回講談社ノンフィクション賞受賞作。

イギリスのフランクリンが北西航路を切り拓くため、探検隊を率いてロンドンを出港したのは1845年。グリーンランドからカナダ北部を経てベーリング海へ抜ける航路を見つける予定だったが志半ばにして1847年、船が氷に閉じ込められ死亡。同行の乗組員129人も全員死亡したが、その探検や最期の様子は杳として知ることが出来ない。フランクリン隊が全滅してから約60年後の1903年、ノルウェー人のアムンセンが同じ航路を求め、ベーリング海へ到達する。彼はフランクリン隊ができなかったことをやってのけたのだ。

フランクリン隊の行方を各国の探検隊が後を追い捜索する。21世紀に生きる筆者の角幡唯介さん・荻田泰永さんもそのひとり。
様々な文献や研究資料が残されているが、その中でイヌイットがアムンセン隊の生き残りと接触したと思われる記述をみつける。その人物の名は「アグルーカ」、イヌイットの言葉で『大きく立派な男』という意味だ。アグルーカがフランクリン隊のどの人物かはわからないし、もっと言えばほんとうにフランクリン隊の人物だったのか、またどのような運命を辿ったのかも不明だ。
角幡・荻田チームは、その誰ともわからぬアグルーカの見た景色を追い求め、雪氷とツンドラの不毛地帯を自らの足で旅するのだった。

上がフランクリン隊、アムンセン隊、角幡・荻田隊がとったコース。google map を横に置きながら気になるポイントにマークしながら読んでいった。読み進めながら、その旅路の過酷さに「角幡さんってドマゾなのかな?」と心配したりした。

旅は3月に始まり、10日間のジョアヘブン村での休憩ののち、6月に終わる。
途中、雪氷の海で、飢えに耐えかね、麝香牛を殺して食べるシーンがある。読んでいてこちらまで胸が苦しくなるようなシーンだった。「命をありがたくいただくべきだ」と諭され、はいそうですかと軽々しくヒンナヒンナできるはずもない著者の心の動きが伝わってくる。ここを読めただけでもよかった。
北米大陸に入ってからツンドラを歩く旅もなかなか過酷。誰も歩いたことのない、春の雪解けが終わったばかりのツンドラ地帯を歩く。「もしかして、ここを歩いた人類って俺たちが初めてじゃないのか(ネタバレになるので意訳)」と綴られたシーンでは、ページをめくる手が止まった。そんな瞬間に自分が立ち会うことなど一生ないのだろうなという思いをこめてページをめくった。

しかしフランクリン隊、船の中にヴィクトリア朝時代の優雅なティーセットとか持ち込んでいたらしく、「そんなんだからその50年後にも南極でエライ目に遭うんだよ!」と突っ込んだりした。

このフランクリン隊を追ったジョン・レーやレオポルド・マクリントック、チャールズ・フランシス・ホールといった男たちの数奇な運命もまた面白い。とにかくまぁそういうすごいドキュメントなんですよ。みなさまもぜひー。このあとレヴェナント見ようかしら。それとも水曜どうでしょうアラスカ編

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