行儀よくしろと四月に言いました/コロナショックに寄せて その24

鬼滅の刃 22 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

昨年春の自分のコロナ関連日記には「行儀よくしろ」という単語が何度も出てきます。大声で騒がない、バカ騒ぎしない、どんちゃんしない、大勢で集まらない、飲食店ではおとなしく静かに穏やかに食べ終え、すっとお暇する、それでだいぶ感染が抑えられるのではないかと、四月頃に気がついていたのです、わかっていたのです、ほとんどの人がそれにを理解していたのです。

飲食店は悪くない、悪いとしたら客だ、客の振る舞いだ。店の入口にアルコール消毒液を設置し、トイレに設置されていたハンドドライヤーは「使用禁止中」という張り紙で塞ぎ、代わりにペーパータオルを設置し、隣の席との間にアクリルの板を立て、席を減らして間隔を空け、あらゆる努力をしてきた飲食店。月に一度くらい行くロイヤルホストでは、様々な試行錯誤を経た結果、最終的には店のロゴが入ったアクリル板をすべてのテーブルに設置した。大変な出費だったことでしょう。

その飲食店の努力をすべて無にして、「飲食店は午後8時で閉めるざます!」という中途半端な状態に緊急事態に追い込んだのは誰だ? 尾身先生が無惨様だったら、黒留袖を着て板の間でとっちめる局面です、というかとっちめていると思います。マスクを正しくつけ、手洗いを励行し、行儀よくして、静かに過ごそう。ステイホームしなくても振る舞いを変えるだけでだいぶ状況変わると思うのですが、なぜしない、できない。・・・・とかいってたら、たったいま速報が出て、今日の東京の感染者は1500人超えたそうです。ゆりこ、いまこそ東京アラートだ! コロナかるただ! 医療従事者へお手紙だ!(棒読み)

スペイン風邪の収束には日本では3年かかったとのこと。Wikipediaに掲載されていたので、引用しておきます。
スペイン風邪
日本では1918年(大正7年)4月、当時日本が統治していた台湾にて巡業していた真砂石などの大相撲力士3人が謎の感染症で急死。同年5月の夏場所では高熱などにより全休する力士が続出したため、世間では「相撲風邪」や「力士風邪」と呼んでいた。
その後、1918年(大正7年)8月に日本上陸、同年10月に大流行が始まり、世界各地で「スパニッシュ・インフルエンザ」が流行していることや、国内でも各都道府県の学校や病院を中心に多くの患者が発生していることが報じられた。第1回の大流行が1918年(大正7年)10月から1919年(大正8年)3月、第2回が1919年(大正8年)12月から1920年(大正9年)3月、第3回が1920年(大正9年)12月から1921年(大正10年)3月にかけてである
当時の人口5500万人に対し約2380万人(人口比:約43%)が感染、約39万人が死亡したとされる。有名人では1918年(大正7年)に島村抱月が、1919年(大正8年)に大山捨松、竹田宮恒久王、辰野金吾がスペインかぜにより死去している。
第1波の患者数・死亡者数が最も多い。第2波では患者数が減少する一方、致死率は上昇している。第3波の患者数・死亡者数は比較的少数であった。

つまり、ここから3年ほど、毎冬こんな状況になるのである。辰野金吾もスペイン風邪で死んじゃったのか。みなさまどうぞご安全に。

 

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