蓮の花死んだら全部ゴミになる

そういうわけで両親の面倒見にちょくちょく帰っているんですが、母親の断捨離熱はなかなか収まらず、この前は人形類をすべて整理した。年に一度、地元で人形供養をしてくれる日が近づいていたので、たまたま居合わせた甥っ子と二人でその作業をした。ガラスケースの背面に「昭和42年●●さんから」などと記録してある博多人形や雛人形を、台から引き剥がし、ケースを解体し、素材別にゴミを分類する。贈り主のほとんどはこの世から去っている。この人は癌で、この人は長患いして、この人は意地悪ばっかりいってて誰も面倒見てくれなくて最後は公共のホームで。そうはいっても「人形、キモい・・・」などとぼやきながら作業してる高校生のこの甥っ子も、これらの人々の縁がなければ生まれてこなかったわけで、あぁ人の命とはなんたるものかと。

母親がたまに「空銭」という言葉をいう。「からぜに」と読みます。買い込んだ野菜を使いきらずに終わらせてしまっても空銭、安いからと買ったけどやっぱり使わなかったものも空銭、よかれと入った保険も結局細かく見てみれば収支トントンどころか他のことに運用してればよかった、というのも空銭。とかくこの世は空銭だらけ、「悩む理由が値段なら買え、買う理由が値段なら止めておけ」、空銭は無駄遣い以前の問題ですじゃ。気をつけてゆきたいものですな。

母親が「ゴミを残していくわけにはいかない」と何度も何度も言うんだけど、そうばっかでもないんじゃないかしらー、でもそれをうまく伝えられないにゃーともどかしく思っているところです。

昨日は友だちのお誕々だったので、久しぶりに夏大島を着た。夏の着物は軽くてよいなぁ。うふふ。

竹を編んだクラッチバッグを持って出かけたけど、竹が引っ掻いて生地を痛めるんじゃないかと思って気が気じゃなかった。夏の着物に似合うバッグってなかなかないなぁ。この前、三十代くらいの女性が明るい花柄の浴衣を着て、佐賀錦のバッグを持っているのを見て、うぅーん、と天を仰いだものです。佐賀錦と浴衣という組み合わせ自体がほにゃららなことはさておき、持ち手って汚れるやん、夏は汗かくからそんな白い布のバッグ持つだけで気を使うやん! エルメスのバーキンやケリーのハンドル部分にスカーフ巻いて手に提げているのと同じくらい不自然だよ(売却時に値崩れしないための措置だと理解してても、だ)!

それはさておき若いお嬢さんに譲りたい夏の着物があるので、暑いうちに譲ってゆこうっと。


角煮ちゃん。

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