副島隆彦VS武田邦彦 ケンカ対談


副島隆彦と検索して半角スペースを空けると「トンデモ」と表示されるし、武田邦彦と検索して半角スペースを空けると、やはり「トンデモ」と表示される。そんな「トンデモ」なお二人の原発事故と放射能についてケンカしながらの対談集。ほんとーに喧嘩してる、それも大人気なく喧嘩してる。「いや、もうその話はいいですから!」「だからそれはね」「副島さんはそういうけど」「ほほぅ、9億も!」「大学教授が一般庶民と同じ暮らしではないですから」、二人っきりの朝まで生テレビ☆ おっちゃんたち面白いぞ!
副島さんといえば3月20日以前に福島第一原発まで乗り込んで正門前で写真を撮り、一躍2chの人気者になりました御仁です。そして「日本はもう大丈夫だ!救われた!高らかに復興活動をすすめよう、って早く政府と天皇陛下が言うべきなんだよ!そう宣言してもう一度繁栄を目指すべきなんだよ!」と3月からずっと言ってます。

副島隆彦の学問道場から転載。
武田邦彦さんは「(第一原発の)一撃から逃げろ!逃げれば貯金ができるから。連休明けには落ち着くから」といってきた人。しかし、彼のブログを読んで不安にかられた人は多く、副島さんは「武田さんがそうやってあおるものだから、放射能こわいこわいの人達が増えてきたじゃないか!煽るのをやめなさい!あんたも原発でメシ食ってきたんだから、郡山で私と対談しなさい!」と挑発し、そしてこのケンカ対談が実現しました。
日本の原発の近現代史をひもときつつ、時系列に落ち着いて読み返すことができました。
で、ちょっと驚いたことがいくつか。
・2004年のスマトラ沖地震などを受けて2006年の「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」改訂で原発は地震で壊れていいということを「残余のリスク」という言葉を使って文面で合意された。
・武田先生がいた旭化成のウラン濃縮研究所はフランスに275億で売られた。それがコジェマ(COGEMA)という会社になり、後にAREVA傘下に落ち着くことに。
・原告住民たちが勝訴した原発訴訟・石川県志賀原発の運転差止めを受け、とにかくいろんなことが起きそうだけど原発は動かしておきたいという意思のもとで2006年の地震改訂とつながっていく。
・2006年の(地震改訂を決める)地震指針会議にはマスコミ席があり、マスコミ各社もいたことにはいたが、まったく報道されなかった。その翌年柏崎原発が震度6で破損、そのとき「これはおかしい」と思って武田氏のところに取材にきたのは「アサヒ芸能」と「週刊大衆」だけだった。
・2007年の柏崎原発事故のときは、IAEAの査察を日本政府が拒否した。あのときの事故を、日本国民がもっと深刻に受け止めておくべきだった。
私は、この「あのときの事故を、日本国民がもっと深刻に受け止めておくべきだった」に、とにかく尽きると思う。柏崎刈羽原子力発電所の事故の時は、確か東電が県にも後出し報告したはず。ほんっとどうしようもねえ、人の血が通ってない会社だねぇ。
対談形式で読みやすいのですが、とにかく大人げないケンカもしているので、そこらへんが平気な方はぜひご一読を☆ 教訓として、これからはアサヒ芸能と週刊大衆もちょっこし応援してあげたい、うん。

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