薄暑光母の眼鏡の柘榴石

わけあって自分の過去の俳句を読み返している。句会は月に一度、それを12年やっていますが、(12年ですよ!! 12年! 阪神がうっかり一度は優勝するかもしれない歳月の流れです)、よくこんなことをドヤ顔で俳句にしたものだと反省したりいろいろ。

さて、2016年6月の私へ。その翌月におまえのお母さんは亡くなりますよ、来年も再来年もずっとずっと介護するつもりでいますが、あと数週間後にはその句さえ読めなくなりますよ。びっくりするくらい突然この世を去りますよ。

2017年1月の私へ。その句会の四日後におまえのお父さんは亡くなりますよ、父を一時退院させていつも通りの正月を何日か実家で過ごし、そのあと病院に送り届けましたよね。そしてそのあとの連休にもすぐ長野に戻り、病室で一緒に過ごしました。それが終わって東京に帰り句会に出てみなさんと句会をしたわけです。そしてその夜から四日後の朝、病院から呼び出しの電話をもらい、バスタ新宿にタクシーで移動し、高速バスで長野へ帰るのです。ついたのは夕方6時。来年も再来年も父親の介護をするつもりでいますが、残り時間は本当にわずかですよ。わずかですよー。

そんなふうに過去の私に声をかけてあげたい。

その句会もじぶんの母親と同い年の女性たちを見るのが辛く2017年の後半は半年サボり、その後華麗(華麗?)に復帰。2018年、2019年と実家を片付けるときにつくった俳句がいくつか残っている。今年は「武漢で新型肺炎が・・」とニュースになった1月と「こんなことやっていて大丈夫かしら」と恐る恐ると2月の二回開催し、あとはメールで句会している。

句会は毎回7句出すのがノルマで、そのために必死になって枠を埋めたような句(そういう俳句のほうが稀に評価が高かったりする)もあれば、天啓のように空から降ってきた「これはっ、我が人生の句碑としたい!」なできのものまでいろいろ。

五七五の短い音節に、そのときどきに感じたことや思っていたことがくっきりと俳句の中に浮かびあがっている。私はこんな12年を過ごしてきたのか。指導者や仲間に恵まれ、俳句をやってきてよかったなと感謝しているところです。以上です。

 

遊星 (ふらんす堂俳句叢書)

2 COMMENTS

ukasuga

俳句はどこでもできるけど、次はピアノと英会話かしら・・・なにに手を出そうかなー。

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