五郎治殿御始末 / 今週のデスクトップフラワー


フリージア切ったらニラの匂いする
福寿草とかフリージアとか、春の黄色い花って本当に力強く明るい。
表紙の赤い椿のイラストの意味が、読み進めるうちに大きくなってくる、明治のご一新前後の垣根の向こう側に残された武士たちの短編小説集五郎治殿御始末
桜田門外の変を扱った「柘榴坂の仇討」、佐幕派として活躍した松平定敬を藩主にもつ桑名藩に残された年老いた武士の物語「五郎治殿御始末」、もーハラハラハラハラ、ティッシュ片手に読みふけりました、えぇ、麻布十番・福林という台湾料理屋さんのランチタイムで。えぇ、なぜかテーブルに箱ティッシュが置いてあったものですから。
江戸から明治のご一新で暦ががらっと変わりましたが、そこらへんのいとしくも切ないどたばたを描いた「遠い砲声」「西を向く侍」も面白かった。時代小説を読んでて「明け六つ」なんていわれても現代人はピンときやしませんが、その逆の立場におかれた江戸の侍の当惑っぷりが大変身につまされる。旧暦って情緒あっていいわよねぇ。
武家の道徳の第一は、おのれを語らざることであった。軍人であり、行政官でもあった彼らは、無視無欲であることを士道の第一と心得ていた。翻せば、それは自己の存在そのものに対する懐疑である。無私である私の存在に懐疑し続ける者、それが武士であった。
武士道は死ぬことと見つけたりとする葉隠の精神は、実はこの自己不在の懐疑についての端的な解説なのだが、あまりに単純かつ象徴的すぎて、後世に多くの誤解をもたらした。
社会を庇護する軍人も、社会を造り斉(ととの)える施政者も、無視無欲でなければならぬのは当然の理(ことわり)である。神になりかわってそれらの尊い務めをなす者は、おのれの身命を惜しんではならぬということこそ、すなわち武士道であった。
「五郎治殿御始末」より

今、この瞬間、国会中継では『パブリック・サーヴァント』の田中康夫タンが質問しております。いいなぁ、一言いっては嫌味をかますその性格。嫌味挟まずには質問ができないとんち議員じゃよ。とんち大臣の称号を与えたい(勝手に)。

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