カバチタレ誕生秘話

「漫画★全巻ドットコム」「マンガナビ」共同企画
『特上カバチ!!(17)』発売記念ロングインタビュー

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田島先生
だから『ナニワ金融道』が完結したあと、せっかくマンガの世界に足を突っ込んだのだから、自分でも何か書いてみようと思いまして、『カバチタレ!』の原作作りをはじめてみました。例によっての独学で、自分の職務経験と人生での体験を織り込んでみればいいだろうと。そして出来上がった原稿を編集部に見てもらいましたら、これが意外なほど好評で。連載でいこうという話に盛り上がりまして。それが29歳のときで、実際に連載がはじまったのは31歳です。実際に連載するまで、準備に2年ほどかかりました。

作画の東風さんは、青木さんのアシスタントに入ってらしたんですよね。
田島先生
東風は僕の従弟で、当時は何でも屋のような会社でビルの清掃やらいろいろやってたんですが、『ナニワ金融道』の連載中の取材で青木先生がこちらにいらしたとき、紹介したんですよ。それから何ヵ月かして、彼は青木先生に直談判してアシスタントに入ってしまいました。僕の知らないところで。でも、考えてみれば僕も『カバチタレ!』の原作を青木先生の知らないところで、モーニングに持ち込んで同じようなことをやってるんですから、血のつながりってのはこんなところにも出るんだなと(笑)

『ナニワ金融道』完結後の東風さんは、ヤングマガジンのちばてつや賞に応募して賞を獲りましたよね。『カバチタレ!』の作画に起用するのは既定路線だったんですか。
田島先生
いえ、そんな話はまったくありませんでした。『ナニワ金融道』後は、僕は『カバチタレ!』の原作を書き、東風は東風で、大阪で独自に行動してました。で、『カバチタレ!』の連載が原作単体で決まったけど、作画はなかなか決まらなかったんです。けっこう時間が経ってから「ウチのいとこに青木先生のアシスタントをやっていたのがいるんです」と、担当編集者にプレゼンしてみました。カットとか新人賞の入選作などを見せて。けど担当編集者は全然乗り気じゃなくて、まったく相手にならないという反応でした。そこで、ここでも当時の編集長に直談判したんです。最初は編集長も担当編集者と同じような反応でしたが、根負けした様子で「ネームを出してみてよ」と言われたんです。そこで2人で一緒にネームを作り、絵も青木先生タッチに変えてみたら、これが思いのほか面白かったらしく、これならいけるっていうことになりまして。急遽東風に決まったんです。あとで聞いたら、編集部としては断る口実でネームを頼んだらしいんですよ(苦笑)。

『ナニワ金融道』の流れがシフトしたのではなかったのですね。驚きです。
田島先生
そうですね。青木先生に紹介してもらって『ナニワ金融道』テイストの別作品を……なんて簡単な話ではなく、紆余曲折の末にまったく独立した作品として『カバチタレ!』は誕生しました。

私もずっと、ナニワ金融道がベースになっていた作品かと思っていたら、まったくの独立した作品と知り驚きました。ロングインタビューですぜ、気合入れて読むがよし!!!

カバチタレ

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