今日の野性/古典の翻訳が・・/藤沢周平の『一茶』

ウカさま、今朝9時24分の震度1の地震の直前、ぱちっと目をあけ、すくっと立ち上がり、耳を外側に開いて警戒モードマックスに。「おぅ」と思って、我が家の震度計であるところの大きめ観葉植物に目をやると、その数秒後、さわさわ・ふらふらと葉が揺れ始めた。
 おぅー、ウカちゃんにも野性が!
日経ビジネスオンラインで連載中の「古典の翻訳がさっぱり分からなかった人へ」が面白いです。明治大正昭和の翻訳文化とその背景をうかがいしることができます。
最近手にした翻訳ものがひどかった。古典じゃないんだけど、くだんの「翻訳文化」にどっぷりはまっていたような気がする。句読点はないわ、一句一句をもらさず伝えようとするため文章はやたらと長くなり、さらにどれがなにに掛かっているのかがさっぱりわからない。翻訳者の方には申し訳ないが、もうちょっと「日本語での物語の伝え方」を勉強していただけないかしらん、と思ったものじゃった。
第4回 幕末明治の翻訳は意外に読みやすい
「独立宣言」を「独立の檄文」と訳した福沢諭吉

まっこと福沢諭吉たぁえらいおとっつぁんですよ、えぇ。過去の翻訳者の方たちは優秀だったと思うのです、伝えるセンスがちょっと足りなかっただけで・・
そんな翻訳事情だから、光文社さんが古典新訳文庫を出したりするのよね。ありがたいことよね、カラマーゾフの兄弟は途中で挫折したけどね。

今、読んでるのは藤沢周平の「一茶」よ。前も読んだんだけどね、なんとなく読み返してるのよ。
「一茶」ってまぁあれよ、畑仕事が嫌いで、継母も嫌いで、なんとなく東京に出て、何やっても長続きしなくて、俺にはなにか才能があるのにこんな大工の手間仕事なんてやってられるかってブツブツ言ってばかりで、野垂れ死に寸前のところを、賭け事・俳諧師という職業があると知ってその世界に飛び入り、まぁよくわかんないけど、現代でいうところの、ラップで喧嘩し合って勝ったほうが賭け金総取りみたいな仕組みですよ(※多少脚色してるので鵜呑みにしないで)、それで食いつないで、なんとかその世界で地位を築くが、築くったって、裕福な音楽プロデューサーたちに恵んでもらって生かせてもらってるような立場ですよ、そんでなんとかいっぱしの俳諧師になれたかと思って、ちょっと西国へ遊びに行きたいから軍資金引き出さなきゃーと15年ぶりに田舎(長野の上水内郡信濃町)に帰るわけ。「父ちゃん、母ちゃん、俺、ラップで食ってるんだ」と自慢げに話し、帰ってきた翌日から、凱旋帰国(といっても東京からなんだけど)だぜ、ヒーハーッて近隣の村落で開催されているラップバトルに参戦したりする、そんな日を二~三週間すごしていたら、母親ってなぁ鋭いもんで「そんなんでおまえ大丈夫かい?」とずばり言われ、ぎゅぅとなって、「いいっ、もうっ、もう明日東京に帰るよ! お金だけはもらっていくからね! 今度の西国旅行は俺のキャリアにとってとても大事なんだからね!」といって逃げるようにして江戸に戻るわけですよ、このとき、一茶三十歳、ダメだろう、大人としてこんなん絶対ダメだろう!!
その一茶も、最後は「盥から 盥へうつる ちんぷんかん」という辞世の句を残してこの世を去ります。しかし、ダメな大人だなぁ、小林一茶って!

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