残菊や世界よこれがアメリカだ/映画「フルートベール駅で(原題 FRUITVALE STATION)」

フルートベール駅で(字幕版)

飯田橋ギンレイホールで。あらすじはギンレイホールのサイトから。
2009年の元日、米サンフランシスコのフルートベール駅で22歳の黒人青年が警官に銃で撃たれ死亡した。3歳の娘をもつ青年がなぜ悲惨な死を迎えることになったのか… 社会現象となった事件を基に、銃殺された青年の人生最後の1日を描き、周囲の人々の愛情や哀しみ、運命の残酷さを浮き彫りにした話題作!

DVDのジャケットのコピーを写します。
その日は母の誕生日。
娘と遊び、
家族と少しケンカをし、
友人と笑いあった。

僕の人生、最後の日だった。

主人公の黒人青年オスカーは22歳で三歳の娘と働き者でチャーミングな妻を持つ。何度か警察のお世話になったことがあるが生活を建てなおさなくてはと職を探しているところ。以前クビになったスーパーに「もう一度雇ってくれ」と頼みに行くものの、「二回遅刻するような奴は雇えないよ」とオーナーに断れる。今日は大晦日で大好きなママの誕生日、なんとかお金を作らなくてはと工面しようとするが、大きな進展はないまま夜になり、家族とともに誕生日と新年を祝う。妻と友人たちと街に繰り出し、2008年が終わろうとするところ、街の中である白人夫婦と出逢う。ふたりとも若くはないが、奥さんは妊娠している。

「結婚してるのかい?」「してるよ、君は?」、生活を再建しようとしている最中で無職のオスカーは「しようとしてるところだ、だが金がない」と答える。男性が続ける、「僕もなかった。僕は無職、妻は教師で給料が少ない、結婚指輪はクレジットカード詐欺で買ったところだ」。オスカーは顔をしかめて「嘘だろ?」と、男性も「嘘だよ」と答える。「自分で仕事をつくった、ウェブデザインの会社だ、それでなんとか妻に指輪を贈ることができたんだよ」。オスカーの顔に「自分で仕事を始めるっていう手もあるのか」と光が灯る。そしてそのやりとりの数時間後に事件が起きる。

普通の日だったらまったく関連しないような偶然の出来事が別の出来事を呼び、それが小さく小さく連鎖して、ひとりの青年の人生が突然断たれてしまう。これを見ながら、御嶽山で亡くなった人たちのことを思い出さずにはいられなかった。あそこで渋滞がなかったら、あと一時間早く山に登り始めていたら、山頂でもうちょっとのんびりしようと言わなかったら・・・そんな人がたくさんいたのだと思う。それが運命というものなのでしょうか。それが運命というものなのでしょうか。

1 COMMENT

いち

なんちゅうかその…
良い人だからとか悪い人だからとか、
そういうことはなんにも関係ないんだなと、
こういうことが起こるたびに思います。

人はなかなかのたれ死ねないけど、
ある日突然なんの前触れもなくこの世を去る。
それを知っていても、
毎日悔いのないように生きるのは
すごく難しいことです。

せめて残された人に迷惑かけないように、
死んでしばらくしてから思い出してもらうとき、
「けっこう良いヤツだったよね」と
何か私がやらかしたことで
みんなが思い出してちょっと笑うような
そういうヤツに私はなりたい。

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