読み終えた諸星大二郎の絵柄でね/井上靖「補陀落渡海記」

補陀落渡海記 井上靖短篇名作集 (講談社文芸文庫)

那智の浦に補陀落山寺というのがあってのぅ、補陀落というのはサンスクリット語(梵語)で「ポタラカ」、「ポータラカ」(Potalaka)、チベットのラサにある「ポタラ宮」も同じ言葉で、仏教の言葉でいうところの極楽浄土のことなんじゃ。それは南の海の果てにあるといわれ、うまくそこに辿り着ければ永遠の生命を得られ、世界が終わるその瞬間まで観音様に仕えることができるという極楽なんじゃ。

しかし、そこに行くまでがさぁ大変! 熊野灘や足摺岬といった本州南端の地から黒潮に乗って行かなくてはなりません。僧がそこを目指す場合には、30日分の食糧を載せた小さな舟に乗り込み、乗ったところで外から箱を被せられ、僧侶はそこに閉じ込められます。船底に頑丈に打ち付けられた箱は中から押しても引いても体をぶつけてもびくともしません。しかもその舟には櫓も櫂も帆もなく操縦することもできません。船出のときは地元の漁師がその小舟を沖合まで引っ張ってゆき、「ここらへんでいいべ、じゃー坊さま達者でな」とブチンと綱を切られるのです。地元漁師は見送ったあと陸へ戻り、僧侶の乗った小舟は大海をゆらりゆらりと揺られていくのでございます、そう、ひとり、ポータラカを目指して。

 いやぁぁぁぁ怖い!!!!
 なんでこんな怖い風習思いついちゃったの!?

井上靖の「補陀落渡海記」は、その捨て身行を実際に行った江戸時代の金光坊の物語です。補陀落山寺の住職・金光坊は、さきの住職が三人続けて「61歳の11月に補陀落渡海」をしてしまったばかりに、まわりの空気に押されて彼自身も補陀落を目指さなくてはいけなくなってしまいました。3人は3人、それぞれ事情があったのです、一人目は大変な天災が続いた年に自分が犠牲になることにより信仰への心が復活すればよいと願っていた人格ある僧侶、二人目は体も弱く周囲ともうまく人間関係が築けず半ば自殺の意味を込めての渡海、三人目は「晴れた日には補陀落が見える」と豪語する少々狂信的な人物、それぞれにそれぞれの思いがあったとはいえ、金光坊はその境地までに達することができた人々をうらやましく思いながら、その日をどう迎えるべきかあれこれ思案しているうちに春が過ぎ、夏が過ぎ、ついにその日がやってきて・・・・

 いやぁぁぁ怖い!!!!
 どうしてこんな恐ろしいことをしなくてはいけなかったの!!!

この物語で描かれる金光坊のある件がきっかけとなり、この後に補陀落山寺の住職たちは亡くなったあと、小舟に載せられ水葬されるようになっていきます。うぅ、よかったね、のちの住職さんたち。

この短篇集には、エッセイとも小説とも読める随筆と、短編小説が収録されています。裏磐梯がどのようにして生まれたかを描いた「小磐梯」(吉村昭の関東大震災並にガクガク震えた)、鬼という字に隠されたものに思いを廻らす「鬼」、曽祖父の妾だった女性との交流を描いた「グウドル氏の手套」など。補陀落渡海に興味を持って半ば怖いもの満たさにKindleをポチリとしたものですが、全編通じてみれば落ち着いた静かな文章が続き、それぞれの物語にじっくり向き合えることができよい読書となりました。

補陀落山寺(那智勝浦観光サイト)

諸星先生のこちらの作品に補陀落渡海の話が載ってるらしいです。さすが諸星先生! こっちも早いところ読んでみたい。
六福神―妖怪ハンター (ヤングジャンプ・コミックスUJ)

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