あの作家まさか三人同い年/半藤 一利「あの戦争と日本人」

これ読んで初めて知ったんだけど、松本清張と太宰治と大岡昇平って同年生まれなんですってねー。1909年、明治42年生まれ。おぉー、人生いろいろ・・・、作家もいろいろ。太宰治ってば、全然昭和の人じゃん!!!

松本清張の戦時中のご様子(Wikipediaから)
やがて教育召集のため、久留米第56師団歩兵第148連隊に入隊、陸軍衛生二等兵として3ヶ月の軍務に服した。その後、1944年6月、臨時召集の令状が届いた。この時は、久留米第86師団歩兵第187連隊に入隊、直ちに歩兵第78連隊補充隊への転属を命じられるが、これはニューギニアへ補充のために送られる部隊であった。

太宰治はこんな感じ。いろいろと忙しそうだ。
1939年(昭和14年)1月8日、井伏鱒二の自宅で、甲府市出身の地質学者・石原初太郎の四女の石原美知子と結婚式を挙げる。この時、太宰は井伏に対して「結婚誓約書」という文書を提出。その中で「再び破婚を繰り返した時には私を完全の狂人として棄てて下さい」と書き、過去何度も失敗した自殺未遂から立ち直り、美知子を一生かけて守っていくとする決意を語っていた[3]。同日、甲府市御崎町(現・朝日)に移り住む。9月1日、東京府北多摩郡三鷹村下連雀に転居。精神的にも安定し、「富嶽百景」「駆け込み訴へ」「走れメロス」などの優れた短編を発表した。戦時下も『津軽』『お伽草紙』など創作活動を継続。1945年(昭和20年)7月6日から7日にかけて甲府空襲を体験。

大岡昇平の戦争時代。
1944年(昭和19年)
3月 – 教育召集で、東部第二部隊に入営[6]。
7月 – フィリピンのマニラに到着[6]。第百五師団大藪大隊、比島派遣威一〇六七二部隊に所属し、ミンドロ島警備のため、暗号手としてサンホセに赴いた[6]。
1945年(昭和20年)
1月 – 米軍の捕虜になり、レイテ島タクロバンの俘虜病院に収容される[6]。
8月 – 敗戦。同年12月、帰国し、家族の疎開先の兵庫県明石市大久保町に着いた[7]。

うぅぅぅぅーん。太宰治、弱い・・・。

塚本晋也×野火

さて、TPP大筋合意、大村智さんノーベル賞受賞、マイナンバーカードがどうのこうのなど、昨日は様々なニュースがございました。私にとって一番のニュースはイチロー、投手デビューでしたけれども。いいなーイチロー、進めイチロー!

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