畦塗りに一日暮らす農夫かな/高村薫「土の記」

土の記(上)

土の記(下)

 

帯の文言はこちら。
大地に雨が躍り、光が滴る
男は田を起こし、畦を塗り、苗を植え、肥を撒く。
その黙念たる営みの精緻と輝き。

生の沸点、老いの絶対零度――。
男は土を耕し、鯰と遊ぶ。
妻の裏切りや、己がまだら惚けは悲しからずや。

東京で生まれ育ち、関西の大手メーカー早川電機(後のシャープ)に就職し、奈良県は大宇陀の旧家の婿養子となった伊佐夫。退職し、にわか農夫となり、ささやかな稲作に挑戦したり茶の栽培をしたりして過ごしている。寝たきりだった妻を見送ったばかりで、生まれ育った田舎暮らしに馴染めなかった一人娘は東京に行ったまま戻ってこない。山の上の古い旧家でひとり暮らす伊佐夫の生活を描いた長編小説・・・・

なんですけど、私にとっては、自分の父や母がどうやって暮らし、老い、惚け、彼らの生をまっとうさせたのか、小説の中からトレースするような読書体験でした、少々過酷な。

高村薫は、こういうのもの書けるのかーと感心しながら(私にとっては「すわ、高村薫の新境地!」と立膝つきたくなるくらい)、上下巻を一週間かけて惜しむようにして読んだけど、その間、何回か親の夢を見た。それは体以外は元気だった母親を明日には施設に入れなくてはならないという夜の晩餐だったり(そんなことは実際はなかったのだけど)、台風の日に行かなくてもよいのに田の水を見に行った父親が返ってこない場面だったり(実際の父親は「危ないからおうちにいるね☆」というタイプでしたが)、そういう夢を見た。正直、堪えた。夜中に目が覚めてさめざめと泣いたりもした。

読み終わったあともバタバタと流れる涙がしばらく止まらなかった。犬小説でもあるんだけど、ラストで「あぁぁぁ」と声が出てしまうかもしれません。ご興味ありましたらぜひ。

1 Comment

いち

なんかねえ、本ってその人に必要な時に出会うんですよ。
今、うかやんには泣くことが必要なんだと思います。

私の時は(25年くらい前)は吉本ばななでした。
真夜中の橋の上で向こうの世界に行った人と会うとか、
そういう話でした。

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