句会の話
昨日は句会。自分の語彙が足らず、うぅぅぅーとなる句がみっつ。
神棚の煤け稲荷や春浅し
先生のお言葉は「春浅しが平凡」「季語を考えてない」。
I先生のお言葉、「春浅しはせいぜい今日の春(立春)くらいが妥当ではないか」ということに収まる。修正後のものはこちら。
神棚の煤け稲荷や今日の春
目も鼻も裾も削れり絵踏かな
今回の兼題は「絵踏・踏み絵」。キリシタンご禁制の時代、信徒の多い長崎地方では、お正月から春にかけて奉行所が踏み絵を行っていたことが季語になりました。
先生のお言葉、「削れるはないんじゃないの、すり減るとか?」「キリスト様がきているお召し物に裾がいいのか?」。
I先生のお言葉、「絵踏かなのかなを削って、裾は衣にしてみたら?」
目も鼻も衣も摩れている絵踏
春の夜の水飲む猫の音清し
先生のお言葉、「清しはいらない。あなたはなんだってすぐ清しだのつけたがるが、そこは飛躍させる」。
I先生のお言葉、「清しはやめて、ありきくらいに収める、そこで他人に委ねる思い切りの良さを」。
春の夜の水飲む猫の音ありき
花柄の針箱に落つ雪虫や
先生のお言葉、「情報量多すぎ」「花柄を削ってシンプルに」「落つもどうかな?」
要検討。
山茱萸や老婆の読めるトルストイ
先生のお言葉、「山茱萸と老婆がいいですね」。
I先生のお言葉、「そこで老婆とかじゃなくちがうものを」
まぁ日曜日の新宿御苑のわたくしなんですが。
春ショール猫がずぅっと踏んでゐる
先生のお言葉、「かわいいーーー、わかるうーーー」
ですよねぇー!!!!
トルストイの「人にはどれだけの土地がいるか」の続き
ラストのあまりにバッドエンドっぷりにガクガクしながらも、今一度この短い小説を読んでみた。そしたらですね、トルストイはやはり、頭のよいおじさんなので、主人公のパホームさんが死ぬべくして死んでいった経緯をきちんと記述しているんですよね。
長い移動をしてようやくたどり着いたバシキール人の土地、おそらく着いたその日のうちにバシキール人たちに歓待され、善は急げとばかりに土地の話を取り付け、疲労がたまった体で夜が更けるまで大宴会、お酒をたくさん飲み、肉料理をごちそうされる。宴会から解放されたあとは、翌朝から始まる土地取りのことを考えてなかなか寝付けられない。うとうととしたと思ったら恐ろしい夢を見て目が覚めてしまう。土地取りが行われた日は「一年で一番太陽が長くでている時期」、夏至の前後で場所はロシア南東部だとすると朝4時から夕方7時、あるいは8時ころまでしっかりと明るかったのではないか。
さらに、朝から土地取りの印をつけてまわるが、昼食のときに十分な休息を取らずすぐさま作業に戻っていく。途中、汗を調整できず着ているものを脱ぎ、長靴さえも脱いでいく。足は傷だらけでさらには水分不足。主人公は若いといっても、いままで何度か土地取引を経験したことがあるようなので、三十代後半とか四十代前半とみるべきか。太陽が沈み始めてからはシャベルを杖に必死に走り出すが、喉が乾き心臓が脈打ってくる。
子供の頃は、ひぃぃ欲張りすぎてはいかんのじゃ、分相応に生きるということが大切なのじゃ、とガタガタ震えたものですが、おとなになるとわかるー、この状況なら成人男性は死ねる。みんな命大事に!!
パホームさんの死因、欲張りすぎというより体力の消耗だったとは!!子供の頃には気づかなかった。そして、身につまされるアラフィフ世代!!死なんように生きよう・・・
そうなのよ、ふなきちゃん! あの人は健康面からも随分な状況だったと思うの。ちびっこのころは「ひぃぃ悪魔こわいぃぃぃ」と思ったものだけど、真のエネミーは自分の中にいるという戒めでもあるのですね、トルストイ、偉大!!