サザエさんのスタァシステム/長谷川町子生誕百年記念「長谷川町子の漫画創作秘話」

友人らと桜新町の長谷川町子美術館へ行ってきました。

長谷川町子さんがバリバリ稼いで足で押さえつけても金庫の扉が閉まらなくなった勢いで収集した絵画作品などを展示しているのが、以前からある長谷川町子美術館(菱田春草の「雨(山路)」も所蔵しているそうです、すごい!)、その向かいにこの夏オープンしたのが長谷川町子記念館。

随所に細かい心遣いが行き届いたかわいらしくも立派な記念館は、財団法人長谷川町子美術館の金庫の蓋がまだまだなかなか閉まらない様子がよく伝わってきます、素晴らしい! 現在は、オープニング記念として「長谷川町子生誕百年記念『長谷川町子の漫画創作秘話』」が展示されています。

とはいえ、わたくし、サザエさん展はあれば割とこまめにいっているほうですし、サザエさんも出てるものは朝日新聞社の文庫版もよりぬき版も姉妹社版もすべて読んでいますし「そんなわたくしを驚かせるような新エピソードはあって?」などと鼻持ちならない態度で向かったのです。したらば、ちゃんと新発見がありました。

サザエさんのお隣の伊佐坂難物さんは、長谷川町子がサザエさん本格連載前に手掛けていた「似たもの一家」という作品の主人公だったこと、朝日新聞での連載が本格化したのを機に本作は打ち切り、しかし、人気が出てきたサザエさんに伊佐坂家を登場させていたということ、長谷川町子もスターシステムを使っていたのだ! 知らなかった。似たもの一家ノーマークだった!!!

以下関連箇所をWikipediaから。
1948年11月21日より『サザエさん』の連載先を新夕刊に移すと、作者の引越しをなぞるように磯野家も東京に引越した。1949年、朝日新聞社が創刊した夕刊朝日新聞に『サザエさん』の連載先を変更するが、これを機に週刊朝日に連載していた『似たもの一家』を打ち切る。1951年から『ブロンディ』の後を承けて朝日新聞の朝刊を飾り、新聞4コマ漫画の第一人者となる。この頃になるとファンレターも来るようになり、励みになったという。同漫画は後に何度か中断期間を挟みつつ1974年(昭和49年)まで連載された。

「こんなわたしにも新発見がありました・・・」と打ちのめされたような顔で展示を見終えたわたくし、鑑賞後友人らと集合すると彼女たちはサザエさんグッズがたくさん詰まった袋を下げている。

「ヌマエは買わないのかい?」
「あたい、何年か前に行ったサザエさん展で買ったグッズがまだ一ミリも消化できてなくて・・・」
「そうかい・・・」

新作グッズとしては、姉妹社が出版した「特殊判型すぎて店に並ばせづらい!」と大量返品をくらったサザエさん第一巻の複製本がよさげだった。とてもとても薄い本、絵本のような薄い本。「サザエさんの薄い本だ!!」「まさか波平とノリスケさんが!」などとキャッキャウフフと夕闇の桜新町を後にしましたとさ。

 

長谷川町子さんが使っていたデスクや椅子が素敵だった。長谷川町子美術館や記念館の外観ともとてもしっくり似合うものだった。あのデスクを見て彼女のセンス、用の美というものが伝わってきたと思う。ああいう感じのインテリアを目指していきたい。

↓第二次世界大戦を女だけの家族で生き延び、昭和時代バリバリ働きバリバリ稼いだ女性の暮らしがよく伝わってきます。名著~!

サザエさん うちあけ話

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