姉家族が「山形二泊三日ツアーに出るんだが、二日目の銀山温泉の宿の部屋が広い。君もきたらいい(なお宿代は割り勘で)」と誘ってくれたので、行きは飛行機、帰りは新幹線でさらっと山形へ行ってきた。一日目は鶴岡泊の姉からは「庄内空港にくれば、朝から一緒に遊べるよ」と提案があったが、ANAのマイルがないので諦めた。というか、山形にふたつも空港があることを知らなかった。またJALが発着する山形空港が「山形おいしい空港」という名前であることを知りのけぞる。この食品に対する自信たるや(盛大な伏線)。
結論からいいますと、山形城大きすぎ! 旧県庁すばらしすぎ! 山形市はアピールが下手! 銀山温泉いい! 宿の早めの夕飯を食べたあと、温泉街に出てぶらぶら歩く時間があるのは素晴らしい、その時間帯にやっているおしゃれカフェや手頃バーがあるのも素晴らしい! そして天童! 「3月のライオン」の心優しき兄者・島田開の出身地、寂しい土地柄のように描かれていましたがなにあの道の駅っ! 買うものが多すぎる! 住みたいっ! 最後に立ち寄った蔵王の日帰り温泉、スマートな外観でありながら昔ながらのお風呂の設計、気に入った! にごり湯も素晴らしかった!
旅の準備
出発前夜、「るるぶ山形」と「山形 ぶらり歴史探訪ルートガイド」を見て観光の予定を立てる。いま戊辰戦争から明治維新の小説を読んでいるので、山形にその跡はないか確かめたく。
始発のJAL。機材はE109。ちんまい飛行機。
山形市内観光
9時山形駅着、現地のシェアサイクルに登録し、駅前からチャリを借りて市内観光。広大すぎる山形城 → 美術館前を通り → 文翔館(旧山形旧県庁) → 旧山形師範学校本館(藤沢周平の母校) → 市島銃砲火薬店店舗 → 旧西村写真館 → 山形まるごと館 紅の蔵で自転車を返す → 山形駅まで歩く。山形まるごと館の近くにJA的なお店があったのでちらっと覗く。ひっ、魅惑の尾花沢西瓜っ! つれてかえりたいっ!
山形城は広すぎて広すぎて。自転車を場外へ置いて見学を始めたことをすぐに後悔した。分け入っても分け入っても山形城。こんなにお城が大きいイメージは持ってなかったし、もっと失礼なことをいうと、お城があるとも知らなかった。聞けば城郭面積では日本のベスト5にランクインするというのに、一体なぜこんなに「山形に最上義光が築いたお城あり!」という情報が流布していないのかとても不思議に思った。だって山形の御武家さんってお金がなくて商人に用立ててもらったり、なにかとお家騒動して永瀬正敏や木村拓哉が大変な目にあったり、真田広之がつらい目にあったりする藩じゃないですか。こんなに大きなお城があったのに?!
旧山形県庁「文翔館」は15分くらいで見終わるのかなーと見始めたのだけど、全館無料開放中で見学に小一時間要した。歴代知事のパネルの間では、彼らがどのような経済政策・農業政策に取り組んできたのかじっくりと読む。初代県知事の三島通庸は薩摩藩出身。けっ、戊辰戦争の勝ち組がうっかりこの地位まで上り詰めたのかよと思ったりしました(盛大な伏線)。しかしなぜこんな奥羽の奥地に、赤坂の迎賓館のような立派な建物が残っているのか(盛大な伏線)、壮麗すぎるではないかと感心する。
その他町中に近代建築の建物が多数残されており、特に旧師範学校は建物として大変に美しく見とれました。市内の道は美しく整然と整備されており、ドライバーの方はみなさん優しく親切で、初めての土地なのに自転車で走っていて怖い思いを一度もせずにすんだ。素晴らしい。山形市のファンになっちゃう!
山形市から銀山温泉へ
山形駅から奥羽本線で大石田駅 → 大石田駅から路線バスで銀山温泉へ。宿にチェックイン15分前に「早めに着いちゃったんですが」と顔を出したら、部屋に通してくれた。畳の部屋で外国の映画見ながら昼寝、というか爆睡。
夕方姉家族が到着。温泉街を散歩。18時夕飯。早めの夕飯、おいしい宿ごはん、「デザートに尾花沢西瓜でないかな」「尾花沢西瓜食べたいよね」「銀山温泉ってほとんど尾花沢市だもんね」とやり取りしてたら出てきたのが尾花沢西瓜。ガッツポーズ! 夕食後は夜景の撮影に散歩。なんかかんやで一時間ほどうろつく。楽しい、ご飯食べたあともやることがある温泉、最高!
銀山温泉は古山閣に。12畳と10畳の部屋をあてがわれ、でもどうもそれがデフォルトらしいです。館内に予約制とか有料制とか細かいことをガタガタいわない貸し切り風呂が二箇所、それとは別に男風呂と女風呂がひとつずつ。
銀山温泉はコロナ禍で日帰り温泉をやめたところが多いようですが、それでも旅館によってはやっているところも2~3ありましたし、公共の日帰り温泉もあるので昼間も適度に時間が潰せます。どうってことない欲深くない観光地カフェのビーフカレーのお肉がやたらおいしく驚いた。よく読むと「尾花沢牛」と記載されている、え、そんなカレーをこの値段で!? お宿の料理も夕飯も朝食もどれもおいしく、ここに限らず山形全体は食材のレベルが総じて高く、体重が減って困っている人はすぐ行ったほうがいいと思います。どの季節でもきっと太って帰ってこれることでしょう。いやぁ「隠し剣 鬼の爪」の武士のみなさんはなんだかみんなお腹空かしてそうな顔してましたが、時代は変わるものですね。
銀山温泉から道の駅めぐりと蔵王温泉
朝食後、早めにチェックアウト。甥っ子の運転で道の駅めぐりのドライブ。さくらんぼ東根と天童の道の駅に寄る。
「道の駅なんて一箇所寄ればいいよ」といっていた姉が、天堂の道の駅で大変な出費をしていたのを見届けた、ほっこり。道の駅のジェラート屋さんでは、ラフランスとさくらんぼの王道の組み合わせを、姉はさくらんぼとつや姫(お米です)のを。ふえええ、これ、銀座だったら1200円取れるお値段だよぅこれが450円って山形の人無欲すぎるよぅーーーとレンタカーの中でガタガタ震えながら食べる。甥っ子が「肉売ってたから買ってきたー」と尾花沢牛の甘辛く炒めたおかずを運んできた。ぐーわーーおいしい。「追い牛肉してきてっ!」と千円札を渡し、それをみんなで食べて昼食として済ませた。
天童から蔵王温泉まで車で40分弱。変な時間帯だったためか親族貸し切り温泉に。すばらしにごり湯を堪能した後、山形駅へ戻り新幹線に乗って東京へ帰りましたとさ。
ブラタモリでわかった山形城の歴史と初代知事の業績
旅行から帰ってきてしばらくしてのこと、ブラタモリで山形特集をやっていたので見てみた。内容をざっくりとまとめます。この番組により先に記した「盛大な伏線」が解明されたのです!
まず山形城。最上義光が初代藩主となり全国城面積ランキングで5位に入るほどの巨大なお城を築いたのだが、江戸時代260年の間に五十五万石から五万石に減ってしまう。最上家は最初の三代の間にお家騒動で分裂、以降各地でやらかした藩主たちの行き着く土地がこの奥羽のお城となった。なるほど。そうすると武家の力は代を下るほど弱くなり、商人の力が強くなる、自由に作物を作るようになる(なるほど、だから藤沢周平が描く永瀬正敏や真田広之や木村拓哉が大変な目にあう時代小説をの舞台となる歴史が積み上がるわけですな)。特に紅花産業はバブルといってもいいほどの盛り上がりを見せ、紅花商人は大変な財をなすようになる。北前船も最上川経由でバンバン出しちゃえ! 五月雨も集めちまえ!
そして明治維新。海外から安い紅花が輸入されるようになり、また化学染料が発達し、紅花バブル終焉。やってきた初代知事は薩摩藩出身の三島通庸、彼の父親は鼓指南役で決して上流の武士ではなかったであろう人物(鼓指南役が、日露戦争における旗手的存在だとしたらごめんなさい)。彼は東京府参事時代に都市計画を担った経歴があり、山形の県庁を城外に建て新しい山形を生み出そうと試みる。またさくらんぼの苗を取り寄せ、商業作物の栽培を早くから取り組んだ。えっ、三島さんいいひと!! ごめんなさい、新政府の勝ち組登用とかいっちゃって本当にごめんなさい! 三島さんこそが「山形おいしい空港」の礎となるはじめの一歩を踏みしめた方ではありませんか!
山形の街は整然としていて美しく、まだまだある見どころをたくさん見逃してきた気がしてなりません。また機会を改めて、藤沢周平海坂藩シリーズを改めて見直したあとでもゆっくり行ってみたいと思います。
※藤沢周平の「海坂藩」は鶴岡や庄内地方がモデルらしいので、同じ山形といってもだいぶ事情が違ったのかもしれません(「隠し剣」の時代はすでに山形も分割して小藩になっていたとは思いますが)。
この本、本当によかったです。史跡と史跡の距離感がつかめたので、短い時間でも濃密な観光をすることができました。
山形市のコミュニティサイクルはこちら。「ecobike」というアプリで加入できます。50円/15分毎とちょっと刻み気味ですが、ぱっとその場で借りられるのでお出かけされる際にはみなさまもぜひ。行きの新幹線で登録しちゃうといいと思います。
https://www.city.yamagata-yamagata.lg.jp/kurashi/kotsu/…
県の近代建築をまとめたページはこちら。圧巻! そして状態がすばらしくよい!
今回もロンシャンのトートバッグが大活躍! お土産も入る大容量・ファスナー付きトートバッグで、おいしいものでパンパンにして帰ってくるといいと思うよ!!! Mサイズも買おうかなー。人生のもっと早い段階で使い始めればよかったよ!
山形よいとこ、みなさまもぜひ~!