いろいろ自分で旅のアレコレを組める時代になり、また介護などもなくなってしまい長期に出かけることができるようになりました(いや、その当時も間隙を縫って結構あちこち行ってましたが)。各種旅行サイトや予約サイトを使い分けできるようにもなってきました。そしてこの業界ってどういうからくりで動いているのかしらと興味を持ち、この本を手に取った次第。旅行業界の仕組みや再編の歴史なども大変興味深かったが、我が国の旅行史のくだりが熱かった。
プラザ合意後の急速な円高のため、政府は輸出産業を救済する金融緩和政策をとった。その結果金利の低くなった金融商品が投資家から敬遠され、土地や株式への投機熱が加速する。転売目的の売買が増加して、土地や株式は急騰。銀行もまた、上昇する地下を担保に融資を拡大する。いわゆるバブル経済の到来である。
プラザ合意は1985年。1985年って昭和60年、昭和60年頃まで1ドル260円もしていたの!? 物心とっくについていたはずなのに全く覚えてない。1985年ってバック・トゥ・ザ・フューチャーとライブエイドと日航機事故の一年で、そこから1991年までがバブル経済と呼ばれる時代になります。で、で、で、で、アメリカからの圧力を和らげるため、運輸省が海外旅行を促進し国際収支の黒字を減らすことを目的として「海外旅行倍増計画」という政策を打ち出します。景気もよく庶民の財布の紐もゆるゆるに緩まっていた当時、当初5カ年計画だった旅客倍増計画は一年前倒しであっさりと目標達成、それに大きく寄与したのがフランスやアメリカにブランドものを買いあs、もとい、買い求めに行った若い女性たちだったのです。
そして1991年年末にバブルは弾けるんだけど、プラザ合意からジュリアナ東京まで早いな、たった5年のことだったのか。この字面からだけでも、イケイケドンドンって言葉がドラムロールに乗って聞こえてくるようです。
逆にプラザ合意前とか1ドル360円の固定相場の時代に海外留学に行けた人たちって一体どういう階層の方々だったのかとガクガクブルブル。そしてそのはるか昔に田畑を売ってストックホルムンに弟を送り出した金栗家のおにいちゃんのことを思うわけです。
当時の竹下登はプラザホテルから日本に帰ってくるとき、生きた心地がしなかったのかもしれないし、国を売ったと輸出産業界隈から罵られると思っていたかもしれない。でもあれから30年経って、それなりにみんな頑張っているんだし、ジュリアナ東京企画した折口さんがいた日商岩井だって双日って名前は変わっちゃったんだし、自分の孫だってまさかのイケメン俳優としてデビューしちゃってそこそこ芸能界でポジション確保してるし、旅行業界は最適化が進んで庶民でも個人でもなんなく自由に旅程を組め、海外にフラッと遊びに行けるんですもの。これでよかったんじゃないでしょうか、竹下登氏。あ、でも一億円バラマキ事件の「ふるさと創生金」と消費税導入も竹下時代の話か、あれ、なんかぐぬぬぬぬぬぬ。
何十年も前の漫画で消費税10%について触れられてた
若い世代が投票に行こうって選挙についても触れられてる
あさりちゃん pic.twitter.com/2NtrD7jUaG— なむじゅ★ (@NUMjyu) 2019年7月19日
ともあれ、一冊の実用書から、プラザ合意からジュリアナ東京までが流れるようにことが進んだことにおのろいた次第。バブル崩壊からの失われた30年の次は、どんな30年が待っていることでしょう。