ノルウェーに行ったとき、フィンエアの機内放送でアムンゼンの映画を放送していたので寝ながらちらちら見た。またオスロでは彼が南極探検に使ったフラム号の展示をみて、GORE-TEXもGPSもない時代によくこんな冒険したものですじゃと感心したものです。
いま、「フィンランド語は猫の言葉」という本を読んでいるのですが、その中にこんな一節がありました。
人には大きく分けて2つの種類がある。北へ向かう人と、南へ向かう人だ。
私は北へ向かう人で、アムンゼンも北に向かう人、さらには極地へ向かう人。この一節で急にアムンゼンのことが思い起こされ興味が湧き、なにか適当なアムンゼンの伝記はないものじゃろうかとKindle本を探したら青空文庫で見つかったので早速読んだ。
青空文庫なので古い本だとは理解していましたが、物語はこんな感じの旧仮名遣いで始まります。
地球は、自分でくるくる回転しながら、また大きく太陽の廻りをまはってゐます。そしてこの地球自身の回転について、たとへば独楽のやうに、まん中に一本の軸があると仮定してみますと、その軸の一端が北となり、他の一端が南となります。その北を、地球の上では北極といひ、南を、南極といひます。
子供向けの本なので一気に読んでしまったのだけど、なんとまぁ品のいい文章なのでしょう。過酷な冒険物語を描いている内容なのに、寒い冬の夜、上品で物静かな老紳士が隣に座ってあたかくおいしい紅茶を飲みながらゆっくりと朗読してくれるような風雅ささえ感じられました。
物語は、アムンセンの最期で閉じられます。
1928年5月、かつて北極航路をともに切り開いたイタリアのノビレ大佐が、今度はイタリア国単独の事業として改めて北極探検に出発します。しかしノビレ大佐は極地に到達した直後遭難してしまうのです。
アムンセンは「(ノビレ大佐については)いろいろ面白くない点もありましたけれど、アムンセンは私の感情を捨てゝ、嘗ての同士救助に敢然と立ち上がり」、救助に向かうのですがそこで遭難してしまうのです。南極も北極も征服した勇敢な冒険者が、救助に飛び出したわずか二時間と四十五分の無電連絡ののち、連絡が途絶えてしまうのです。
「アムンセンの一行については、何の手がかりも得られず、今日に至るまで、その運命は不明のまゝであります」、あぁアムンセン!
ノールウェーには、古い伝説があります。むかしオラーフ一世といふ王様がありました。勇敢な王様で、たえずバルチック海や北海の遠征に出かけてゐましたが、紀元一千年に、スウォルト島附近で大波に呑まれてなくなりました。けれども人々は、海の荒波を見ては、王は必ずあの波の中から再び蘇つてくると、信じきってゐました。
アムンセンのことを、そのオラーフ王の再生だと思つてゐる人が、ノールウェーにはたくさんあります。アムンセンに対するかうした尊敬と信頼の気持ちは、ほゝゑましいものでありまして、アムンセンの霊もおそらくはほゝゑんで、氷海の上に永く留まつてゐることでありませう。
アムセーン!!! オラフーー!!!
この本の底本は、ほるぷ出版の「日本児童文学大系 第16巻」(1977年発行)で、その親本が新潮社の「世界探検物語」(1941年発行)。この時代のちびっこたちは、こういうご本を読んで冒険に心を踊らせたのですね。私の父親はこのとき7歳くらい。もしかしたら、もう少し大きくなってから、戦争が終わって落ち着いてから、中学校とかでこの本を読んだりしたかもしれません。だとしたら面白いな。
わたくし、恥ずかしながら、翻訳された豊島与志雄という方を今回初めて知りまして、彼のWikipediaの項目には「莫大な印税」といったフレーズが3回もでてきて微笑ましくもなりました。やるなー豊島さん! 文章が落ち着いていてどぎつい表現がなく、ほんとうに心が洗われました。機会があったらいろいろ読んでいきたいものです。
さて、このあとはこの辺を読んでいく予定です。
本多勝一の「アムンセンとスコット―南極点への到達に賭ける」
角幡唯介の「極夜行」
アプスレイ チェリー・ガラード著、世界最悪の旅―スコット南極探検隊
世界最悪の旅、ほんとうに最悪なんだろうな・・・。がんばって読み通そうと思う。