曇天や車輪の下で咲く野花/ヘルマン・ヘッセ「車輪の下」


シュツットガルトの駅の近くの宮殿。春の霞の濃い日でした。

車輪の下で (光文社古典新訳文庫)

 

車輪の下と1906年(明治38年)

ヘルマン・ヘッセの「車輪の下」、自然の描写が美しく、こういう文章って最近読まないなーと思いながらじっくりと味わった。

夏休みはこうでなくちゃいけない! 山々の上には林道のように青い空が広がり、何週間も太陽の輝く暑い日々が続いて、ただ時折短く激しい雷雨があるだけだった。川の水はたくさんの砂岩の岸壁やモミの木の陰や狭い峡谷を通って流れてきたにもかかわらず温まっていて、夜遅い時間になっても泳ぐことができた。(中略)森の端には綿のような金色の花をつけた堂々たるモウズイカが長い列を作って咲き乱れ、ミソハギやヤナギランの花は細くて強靭な茎の上で揺れながら、斜面全体を紫がかった赤で覆っていた。森の中、樅の木の下には、丈高くピンと突っ立った赤いジギタリスが、けなげに美しく、エキゾチックな花をつけていた。その根元には銀の綿毛をつけた幅の広い葉が開き、茎は強く、杯のような形の赤い花が縦に美しく並んでいた。その横にはたくさんの種類のキノコがあった。

ドイツの観光ガイドに「りんご酒電車」なるものがよく紹介されていますが、主人公ハンス(というかヘルマン・ヘッセの)生まれ故郷のカルプの街のりんご酒づくりのくだりもよかった。日本でいうと一家総出でやる稲刈りみたいなものかと思います。

彼は君が黄色や茶色になり、覇王落としていくのを見守り、森から煙のように湧き出てくるミルクのように白い切りや、最後の果実の収穫後、生命の痕跡が消えてもはや誰も入ると色とりどりに咲く明日の花を探さなくなった庭を眺めていた。(中略)ちょうどこの時期、圧搾場やいたる所の水車小屋で、人々は熱心に果汁を絞っていたのだ。街の中では、果汁の匂いを静かに宿しながら路上に漂っていた。下流の水車小屋では靴屋のフライク親方も圧搾機を借り、ハンスを果汁絞りに誘った。(中略)

圧搾機の管からは、太い流れになって甘い新鮮な果汁が太陽の光の中で笑うように流出してきていた。ここにやってきてそれを見たものは、グラスを所望して一杯試してみずにいられなかった。飲んだ人は立ち止まり、目を潤ませ、甘い流れと心地よさが自分の体の中を通っていくのを感じるのだった。

この甘い果汁が、あたり一帯の空気を陽気で強烈な、おいしそうな香りで満たしていた。この香りは一年で一番素敵なもので、成熟と収穫の総仕上げだったし、この香りを近づきつつある冬の前にかけるのは良いことだった。これを嗅げば、感謝の思いとともに、たくさんの良いこと、素晴らしい子と思い歩出すことができたのだ。穏やかな五月の雨、さらさらと降る夏の雨、冷たい秋の朝の露、優しい春の日光や、ぎらぎらと暑い夏の炎熱、白やバラ色に輝く花々や、赤茶色に売れた収穫前の数の輝き、そしてその間に一年と言う時の流れがもたらしてくれた、すべての素晴らしいことや喜ばしいこと。

次にドイツに行く機会があったら必ずや現地でりんご酒を飲もうと心に決めました。収穫の時期にあわせていくといいですわね。

さて、この光文社版の「車輪の下で」は「愛を読むひと」の翻訳で有名な松永美穂さん。彼女もあとがきで「現代のドイツ語圏の作家には、これほど細やかに自然の風景を描く人はほとんどいないような気がする(トーマス・マンほど微細に人間の外見を描写してみせる作家が少なくなったように)」と書いている。最近の日本文学はどうなんだろう。

ところで、ヘルマン・ヘッセ(1877年生まれ)はノルウエーの探検家アムンゼン(1872年生まれ)の5つ年下なんですが、この二人がほぼ同世代なんだーって思うと意外なものがあります。この小説が発表された1906年って、アムンゼンが人類で初めて北西航路を横断しアラスカの町から「我横断に成功せり」って電報打った年ですもの。あと夏目漱石が「吾輩は猫である」を発表した年でもございます。近代というものの形がくっきりしてきた時代なのね。

物語は「えっ、ここで終わるの? えっ、これで終わるの?」という終わり方でした。こういう終わり方も含めて、この時代の文学なのだなとも思いました。あわせて数年前甥っ子と一緒にパシフィック・リムを見て「これってエヴァのパクリじゃん?」と言い切りやがったので、「ちょっと待て」と30分ほど説教を食らわしたことを急に思い出しました。

 

パシフィック・リム(吹替版)

令和二年買い占め騒ぎ

「トイレットペーパーを買い求める人が殺到してる」というのをTwitterで見て、うっそーん、うちの近所は民度高そうな人が多いからこんなアホな買い占め行為はなかろうと思ってたんだけど、土曜の朝、開店前のドラッグストアにワンブロック分、買い物客が並んでいるのを見てびっくりした。カウンターで7枚入りのマスクを一人一袋買うために、ついでに紙類をあわせて買うために、ワンブロック分、ひとが並んでいる。普段お勤めだったりしたら在庫のある時間帯にお買い物できないものね。わかるー。わかるんだけど、この地区の災害時避難所に、こういうひとたちと一緒に集まることになるのかと思うと少々身構えてしまいますな。みんなパニック映画を見て予習しておこう! 

その近くのスーパーのトイレでは「トイレットペーパーを持ち出さないでください」という張り紙とともに、トイレットペーパーにはスーパーの名前がマジックで書き込まれていた。そしてその張り紙が結構年季の入ったものであることにも気が付き、二重の意味でがっかりだ。

先週火曜日に「これ、パニックになって買い占め起きるで?」と野生の勘が働き、通常の備蓄の1.5倍になるよう紙類・食品類を各種揃えたものですが、こういう人間の姿がさらにパニック買いを誘発したのだなと反省もした。いや、それにしても。しかし。

群れはなぜ同じ方向を目指すのか?

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